蝉時雨も盛りを過ぎ、少しのアブラゼミとミンミンゼミしか聞こえなくなり、夏も後半なのが感じられる今日この頃だが、東京パラリンピックが始まった。

 

パラリンピックは障害を持つ人々のスポーツの祭典だが、オリンピックと異なり、自らの限られた機能を最大限に生かし、スポーツが出来る楽しさを全身で表現している点で、オリンピックよりずっと純粋な、見るべき競技会だと思う。

 

今、オリンピックは商業としての祭典で、敢えて言えば金儲けの為の大会であり、人気競技でメダルを獲れば、億という金を手に出来る。

一生懸命に励む姿は美しいし、トップレベルの争いは面白いのだが、アスリートを見ると、人の本源的な欲求である”体を動かす楽しみ”の為ではなく、金を稼ぐ手段としての動機を感じてしまう。

 

だから、負けて泣く。勝っても泣く。

 

パラリンピックでは、どの色のメダルでも、獲れば皆大喜びするし、純粋な、心からの笑顔を見せてくれる。

そんな彼ら、彼女らを見ると、すごいねー、よくやったねーとこちらも心から祝福してしまう。

 

メダルを獲れなくても、自身の限られた機能を最大限工夫して頑張った人は本当に偉いし、美しい。

 

彼ら、彼女らは、金を稼ぐ為ではなく、自身が生きているという証しと、ある事をやり遂げるという達成感でスポーツに励んでいる筈だ。

 

 

五体満足で、不満の塊となり、文句ばかり言って行動しない多くの人々(私も含め)への、強烈な教訓を肌で感じ取って、反省して生きて生きたい。

 

パラリンピックこそ大事にしたい大会である。