大陸文化の通り道だった日本より韓国に近い対馬 対馬 =1= | 神社って面白いやん!つんつらぽっぽと行こう

神社って面白いやん!つんつらぽっぽと行こう

神社の起源から、今に至るまで・・・少し知識を得て神社めぐりをしよう!

古事記では、伊邪那岐命と伊耶那美命が最初に淡道之穗之狹別嶋(あわじのほの

さわけのしま=淡路島)、次に伊豫之二名嶋(いよのふたなのしま=四国)、次に

隱伎之三子嶋(おきのみつごのしま=隠岐)、次に筑紫嶋(ちくしのしま=九州)、

そして伊岐嶋(いきのしま=壱岐)、津嶋(=対馬)と順番に八つの島を生んで行った

ので、これを大八嶋國=日本ってことになります。


大陸文化の多くは、朝鮮半島を経由して対馬、壱岐を通り北九州に入り、日本国中に

広まったのは、ご存知のところです。弥生時代においては、長江を起源とする稲作

文化が日本に伝わる一つのルートとして、それと同時に縄文人とはまったく別の

弥生人が、渡来人として日本に入ってきました。
また、青銅器や鉄器なども同じルートで北九州に入り、100年余りで大和まで伝わった

との事です。


弥生時代の集落跡が山辺(やんべ)遺跡で確認されたり、大量の広形銅矛などの

青銅器が、弥生時代後期の箱式石棺から出土したり、磐座などや畑などからも出土

しています。

宗像大社沖津宮のある沖ノ島には、岩上祭祀跡があり、その後岩陰祭祀へと移行した

形跡が残され、やはり青銅鏡や勾玉、鉄剣などが出土しています。(4世紀後半)私の

推測ですが、沖ノ島は、朝鮮半島から対馬に渡ろうとした時、又は逆の時に、嵐や

海流により流され、たまたま辿り着いたのではないかと思います。


対馬は日本で10番目の大きさで、淡路島よりも2割ほど大きく、人口は約3万2000人で

博多からフェリーで対馬の厳原(いづはら)港まで約5時間ほど。午前0時の九州郵船の

フェリーに乗れば、午後3時半の帰りのフェリーまで一日中探索できます。もちろん、

博多からの日帰りのバスツアー(第一観光)がお得になります。

良く間違えるのが壱岐も対馬も長崎県ってことですが、生活圏はやはり福岡県とのこと

です。対馬から釜山までの距離が50kmで、博多までが120kmですから、韓国のほうが

近いってことになります。

近年では、韓国の窃盗団が対馬のお寺の仏像が盗んだり、韓国漁船の密漁、さらに

韓国観光客のマナーの悪さが問題になっているそうです。観光バスのガイドさんが、

日本人の団体なら「ホッ」とすると言われてました。



※写真上は、博多港と対馬の厳原港を結ぶフェリー「ちくし」 2016/05/03
※写真中は、北端にある韓国展望台(天気が悪くて自衛隊の施設しか見えない) 2016/05/03
※写真下は、下関本社の食品スーパー「レッドキャベツ」がある 2016/05/03