最初に肥前鳥居を見たことが無いと書きましたが、どうも間違っていたようでした。
気が付かなかったのですが、福岡市にある八幡宮の筥崎宮(はこざきぐう)の
鳥居も肥前鳥居で、石の柱が通常よりも太いので、筥崎鳥居と言われています。
下の写真を見てもわかるように、笠木と島木が一体になっていて3つに分かれて
いるのを継いでいます。貫も柱も同じく、3つを継いでいるのが良くわかります。
貫と島木・笠木の長さが同じなのも特徴です。
筥崎宮は、正しくは筥崎八幡宮ですから扁額には「八幡宮」の文字。そして「八」の
字はやはり鳩が向き合って八の字を表しています。岩清水八幡宮や誉田八幡宮、
手向山八幡宮の扁額の八の字も鳩が向き合っているのですが、本家本元である
宇佐八幡宮の扁額には鳩がいません。と言うよりは、宇佐八幡宮には「鳩」関係が
全く、見られなかったのが不思議に思ったくらいです。
そう言えば、宇佐八幡宮の鳥居には扁額が架かっていなかったような記憶が、、、
筥崎宮の創建は平安時代中ごろの921年で、宇佐八幡宮から勧請と思えば、
筑前穂波大分(ほなみだいぶ)八幡宮(飯塚市)よりとなっていました。
大分八幡宮は、なんと神功皇后が三韓征伐の帰りに一時、この地に留まったとの
ことで応神天皇産湯の井戸まであるとのことです。
エ━━(;;゜д゜)━━ッ?ほんまかいな!
さて筥崎宮に戻り、なぜここに肥前鳥居があるのか?一ノ鳥居を建立した初代博多
藩主である黒田長政は、肥前となんら関係ないし、、、元々は豊臣方だったし、、、
わかんないなぁ~
調べれば、石材が肥前だと、、、ふ~ん・・・
また、ここの鳥居は、神社に近いほうから一ノ鳥居、二ノ鳥居となっている点です。
気がつきませんでしたが四ノ鳥居まであって、四ノ鳥居は丹塗りなのですが、なん
やらちょっと普通の明神型でもないし、神明型でもないし、、、ようわからんwww
※写真上は、筥崎宮の筥崎鳥居(一ノ鳥居) 2105/05/08
※写真中は、一ノ鳥居の扁額(八の字が鳩で表されている) 2105/05/08
※写真下は、筥崎宮から潮井浜に向かって三ノ鳥居と四ノ鳥居 2105/05/08