さて、神社の名前や由来を書いたところで、慈尊院の多宝塔を右手に見ながら
奥の石段を登ります。ひぃ~!途中で休憩して、、、やっと登りきると目の前に
丹塗りで黒い笠木の立派な明神(みょうじん)鳥居が現れ、境内が広がります。
拝殿は、残念ながら瓦造りの入母屋で寺院風なのですが、本殿は室町時代に
再建された美しい丹塗りの檜皮葺き一間社春日造が3殿並んでいます。拝殿の
左側からはなんとか2つの本殿が見えるのですが、写真には納まりきれず、また
右からも少々無理があります。
もちろん、いつも申す通り3棟並んでいると一番左(本殿に向かって一番右)が
上座で第一殿になります。(神社に依っては、作られた順の場合有り)これが
わかれば、神社オタクに合格です。(笑)
ご祭神は、第一殿が丹生都比売(にうつひめ)神・高野御子神・天照大御神が
相殿と言うことですが、案内書には丹生都比売大神が天照大御神の妹とな?
はぁ~?
この神社の奥にある丹生都比賣神社の主祭神でもある丹生都比賣神の別名が
稚日女尊(わかひるめのみこと)なのだが、この神様が天照大御神の妹ならば、
古事記や日本書紀の物語の全体像が崩れてしまうではないか!
神戸の生田神社のご祭神のように稚日女尊は天照大御神の幼名とするほうが、
スッキリしますね。
第二殿には、大食都比売神・誉田別神(応神天皇)・天児屋根命、第三殿には、
市杵島比売命とたくさんの神様を祀っています。そのうち、大食都比売命は
気比神社、天児屋根命は春日大社、市杵島比売命は厳島神社から勧請された
ようです。まぁ欲張りな神社ですね。荘園で儲けて、お金がたっぷりあったかな?
神職さんに教えて頂いたのですが、拝殿前の灯籠の上と拝殿の左端を見た
直線上にあるのが高野山とのことで、昔はこの位置から女性が高野山を拝める
ように配慮して作られたそうです。そう言えば、下の慈尊院からは高野山を見る
ことができません。
拝殿の右奥を通り、境内を出ると高野山に通じる石道の登山口となっており、
根本大塔まで180町石(1町=109mの標石)を登って行かれる方が今でもおられる
そうです。(約7時間半)わたしゃ、遠慮させて頂きます。<m(__)m>

※写真上は、石段を上がると二ノ鳥居が、前が境内になる 2016/07/15
※写真中は、拝殿 2016/07/15
※写真中の下は、拝殿左より本殿を見る 2016/07/15
※写真下は、拝殿右より本殿を見る 2016/07/15
※写真下の下は、拝殿左の灯籠より雨で霞む高野山を拝む 2016/07/15