弘法大師が建てた神社がある 丹生官省符神社 =1= | 神社って面白いやん!つんつらぽっぽと行こう

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神社の起源から、今に至るまで・・・少し知識を得て神社めぐりをしよう!

京都の東寺で弘法大師(空海)が出てきたついでに、その弘法大師が創建の

神社があります。弘法大師が東寺を旅たち、各地を行脚していてこの地に

辿り着いた時、ある猟師に出会い、その猟師に高野山のと言う霊地があるのを

教えられました。
そして連れていた白と黒の犬を放つと弘法大師を高野山に案内したとか、、、


その猟師は、地主神が化身したものだと考え、高野山の政所(寺務所)として

九度山に慈尊院(じそんいん)を開いたと同時に丹生官省符(にうかんしょうぶ)

神社を創建したと言うことです。(元の名前は丹生高野明神社)この地主神を

狩場明神(かりばみょうじん)と呼びます。


創建は、弘法大師が高野山を嵯峨天皇から下賜(かし)された816年と同じと

言うことで、慈尊院は女人高野(にょにんこうや)として、弘法大師のお母さんも

ここから高野山を拝んだことで有名です。


この地を九度山(くどやま)と言うのは、弘法大師が一か月に9回、高野山から

母に会いに降りてきて来たので、付いたとのこと。結構、マザコンだったのかも?

そして、真田幸村が住んでいたので、今は観光客で賑わっているとか、、、


明治元年(慶応4年)の神仏分離令により、慈尊院から完全に切り離されました。

慈尊院に来る人は多くてもこちらに来る人は少ないと神職さんが話されていました。
まぁ~お寺の奥にあり、石段が119段もあるので、ちょっとお年寄りにはしんどいかも。


また一ノ鳥居が石段の途中にあるので、神社がどこにあるのか分かり難いのも

ネックになっていると思います。


和歌山県の紀の川(奈良県に入って吉野川)沿い周辺の神社の多くに付いている

「丹生」の意味をご存知ですか?「丹」は神社の本殿などが朱色に塗られていることを

「丹塗(にぬ)り」と言います。この朱色を出すのに必要なのが水銀です。すなわち、

紀の川から徳島県の吉野川に沿っては水銀の産地だったので、丹が生まれる=

「丹生」と名前が付いたと記憶があります。間違っていたら、御免です。


水銀は昔は不老長寿の薬とされたとか、、、ええぇぇぇぇ・・・?と言いたくなりますね。
水俣病やイタイイタイ病などの原因になり、猛毒なのに?江戸時代にも徳川幕府は
水銀の産地には陣屋を置いたほどです。それで有名なのが宇陀松山の城下町です。



※写真上は、慈尊院の山門 2016/07/15
※写真中は、多宝塔の左奥に丹生官省符神社の119段の石段がある 2016/07/15
※写真中の下は、119段の石段、途中に石で出来た一ノ鳥居がある 2016/07/15
※写真下は、慈尊院内の弘法大師堂 2016/07/15
※写真下の下は、丹生官省符神社の木札には白と黒の犬の絵が 2016/07/15