講師:吉田 広氏(愛媛大学)
平成28年度「出雲学in大阪」として大阪歴史博物館で8月20日に講演会があったので
参加してきました。弥生時代の出雲に於ける青銅器文化について、いろいろと学ぶ
ことが多かった講演会でした。
まず、神庭(かんば)荒神谷遺跡から1984年に358本の銅剣、さらに翌年に銅鐸と
銅矛も出土した経緯説明がありました。「剣」と「矛」の違いの説明。うっすら知って
いましたが、、、
「剣」は付け根に突起が出ていて、そこを木に差し込む。「矛」は付け根が袋状に
なっていて、そこに木を差し込む。簡単に言うと「剣」はオスで「矛」はメンと言う事です。
次に製造工程の説明があり、出土品の中に鋳放し(鋳型から出した状態)の物があり、
その縁を削り取り、さらに剣として砥石で研磨していく作業工程のの説明。
研磨作業には、一本に23時間ほども掛かり、一人では相当な時間と労力が掛かるので
数人で作業したと推測される。
すでに、鉄器が相当広まっており、縁の削り用や打刻用のタガネがあり、出雲ブランドの
印である「×」印もタガネで打たれているとのこと。弥生時代は、青銅器、鉄器もほとんど
同時に大陸から伝わったとの説が正しいことの証明にもなるんでしょうね。
次に、この358本の剣が同じ鋳型から作られた物があるのか調べられたそうです。
調べる基準は、底から突起部までの長さ(写真の「h」)が同じなら同じ鋳型ではないか
との推測で、計測できる剣の数の約290本の内調べたところ(同范関係調査)、約1.4本に
一つの鋳型が使われたとの結果になり、同じ鋳型はほとんど使われなかったとのこと。
(h=15.8cm~19.9cm)
言い換えれば、武器としての大量生産よりは、大量生産を志向しない祭祀用であると
言う結果になった。(北九州から出土の銅剣は、武器用でしたね。)
次に松江市田和山遺跡から出土した、弥生時代の銅剣型石製品について、説明があり
早い時期に北部九州より武器型青銅器が登場したが、東に行くに連れて祭祀化した
などの考察があり、講座は終了しました。
なお、レプリカではありますが、青銅製の剣を持参いただいて、触れれないが見ることが
自由にできました。本物はもっと刃の部分が薄くできているとの事。(写真参照)
公演後、自由時間に当方が先生に質問させて頂いた内容と回答は下記です。(素人質問
にも丁寧にご回答いただきました、ありがとうございます!)
質問:「×」印は、神霊を逃げない為に入れられたと言う説があるが?
回答:「いろいろ説がある。しかし、他の地方から出土した剣には「×」がないのと
近くの加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸にも「×」印があるところから出雲ブランドの
印に違いないと思われる。(すべてではないが、、、)
質問:三角縁神獣鏡の一部に見られる縮みが出るが踏み返しによるコピー製品は
ないのか?
回答:現在のところ、ない。すべて違う鋳型である。
質問:青銅に使われた鉛の同位体で材料の産地がわかるはずだが、どこの物か?
回答:材料はすべて中国で、青銅のインゴットのような物で輸入されたと思われる。
質問:三角縁神獣鏡と同じと考えてよいか?
回答:良い。
質問:中国から材料が輸入されたのなら、その代償はどうしたのか?
回答:それは解明されていない。
※写真上は、当日のチラシ 2016/08/20
※写真中は、銅剣の製造工程 2016/08/20
※写真中の中は、銅剣の鋳放し状態と完成した図 2016/08/20
※写真下は、荒神谷のレプリカの銅剣 2016/08/20
※写真下の下、会場では島根県の観光パンフレットも 2016/08/20