初瀬川横に仏教公伝の伝承地がある | 神社って面白いやん!つんつらぽっぽと行こう

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仏教公伝に関して、不思議と古事記には全くと言って良いほど触れられて

いません。公伝とは、国家間での公的な交渉の末、仏教が伝えられたことと

Wikipediaには、書かれています。


以前にも書きましたが、日本書紀では、仏教公伝は552年とされていますが、
現在では538年のほうが有力なようです。


日本書紀では、第29代欽明天皇即位13年の項で


冬十月、百濟聖明王更名聖王、遣西部姬氏達率怒唎斯致契等、

獻釋迦佛金銅像一軀・幡蓋若干・經論若干卷


「冬10月、百済の聖明王(せいめいおう)別名聖王(せいおう)が、西部(せいぶ)
の姬氏(きし)達率(だちそち=官名)である怒唎斯致契(ぬしりのちけい=
人の名前)らを引き連れて派遣し、金銅像の釈迦仏を一体、幡蓋
(ばんがい=はたときぬがさ)を若干、そして經論(仏教の教えと解説を

書いた書)を若干の巻(=しょもつ)献上した。」


欽明天皇の即位が539年とされているので539+13=552年と言うことです。


この仏教公伝の地が山の辺の道の端から降りてきた、初瀬川(大和川)横の
公園にあります。(以前は、初瀬川の右岸にあったのですが、こちらに引っ越し

してきました。)同時に欽明天皇のお宮があった磯城嶋金刺宮(しきしまかなさしの

みや)の推定地の碑もあります。


参考BLOG 神仏習合 =1= 聖徳太子



※写真上は、欽明天皇の御陵は、なぜか飛鳥にある 2016/01/17
※写真中は、磯城嶋金刺宮の案内板 2016/07/30
※写真中は、同じ場所にある仏教公伝の碑 2016/07/30