平安中期以降になると、荘園の発展などにより貴族階級の台頭とともに
律令制度がだんだんと崩壊してくると同時に中央集権的な神社祭祀が
衰退して行きます。
各国には、朝廷から派遣された国司(こくし)が、その国の神社行政の
権限を握ることになります。(今で言う、地方に赴任する国家公務員です)
その国司が新任地に赴くと最初にする仕事が、その国の有力な神社を
巡拝すことでした。これを国司神拝(こくししんぱい)と言います。
国司神拝を格の高い神社からするために付けられた順番が、一宮、二宮
・・・で六宮まであったようです。これで諸国一宮制と言う序列ができたのです。
一宮は、その国で一番格式が高く総鎮守にも位置付けられました。
国によっては紀伊国のように一宮が3か所もあります。
時代はさらに進んで平安末期になると国司神拝も面倒になって、一宮~
六宮までを一つの神社に勧請してそれを総社としたのです。総社は、新しく
作られたものと一宮など既存の神社を総社としたものの二種類がありました。
「総社神社」や六つの神社を集めたので「六所神社」と言う呼び方が今でも
残っています。
※写真上は、和泉国一宮の大鳥大社本殿 2015/08/06
※写真中は、和泉国二宮の泉穴師神社本殿 2016/07/18
※写真中の下は、和泉国三宮の聖神社本殿 2016/07/18
※写真下は、和泉国四宮の積川(つがわ)神社本殿 2016/07/27
※写真下の下は、和泉国五宮の日根(ひね)神社本殿 2015/08/06