次に書かれているのが、××国の「一宮(いちのみや)」とか「二宮(にのみや)」です。
飛鳥時代後半から日本では律令制度が確立されてくるのに伴って、神社の格付けが
されるようになりました。
日本書紀では、崇神天皇が大田々根子を三輪の大物主大神をお祀りする主(かむぬし
=神主)にした部分で、ほかの神様もお祀りすれば「吉」となると言うことで
「便別祭八十萬群神。仍定天社・國社及神地・神戸。」
「その手段として八百万(やおよろず)の神様を別けてお祀りしました。それは、天社・
国社・神地・神戸と定めました。」これが、社格の始まりです。天社は、天津神を祀る社
(やしろ)、国社は国津神を祀る社、神地(しんち)は神社境内地、神戸(かんべ)は
祭祀を維持する神職に相当します。
律令制度の確立とともに、神祇官(じんぎかん)なる今で言う文部省のような省庁が
できます。「官」と付くので人と間違えやすいので、注意してください。その神祇官が
各地の神社を取り仕切って、天皇の代わりに幣帛を授与していたのです。
その幣帛を授与するのにも神社の格付けしたのです。延喜式・神明帳では伊勢神宮を
トップしてピラミッド型に式内社(2861社)を格付けしました。
官幣社 伊勢神宮(1社)+大社(198社)+小社(375社)=573社
国弊社 大社(115社)+小社(2173社)=2288社
※写真上は、ピラミッドの頂上に位置する伊勢神宮内宮の正宮(拝所) 2015/12/19