古墳の上にある和爾下神社 | 神社って面白いやん!つんつらぽっぽと行こう

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神社の起源から、今に至るまで・・・少し知識を得て神社めぐりをしよう!

和爾坐赤坂比古神社を過ぎて、和珥坂下伝承地を通り、西の方向に進み

ますと国道169号線にでます。この169号線は、奈良から天理の間を別名、

天理街道とも言います。


ここを天理(南)の方向に戻り、西名阪国道の陸橋手前の信号のところに
赤い大きな鳥居が見えてきます。これが、和爾下(わにした)神社の鳥居

です。


この地域の名前は、櫟本(いちのもと)と言い、ここよりさらに西側にある
伊勢本街道沿いにある、大阪府奈良警察署櫟本分署跡は、天理教の

教祖である中山みきが「許可なく神仏を布教した」と言うことで監禁された

ことでも知られています。


櫟本の名前は、やはり櫟(いちい・くぬぎ)の木がこの周辺にたくさん、
植わっていたのでしょうかね?


鳥居をくぐると参道があり、公園を左に見て左折すると、奥に行くと和爾下

神社の神宮寺で、明治の廃仏毀釈運動で廃寺になった柿本寺(しほんじ=

柿本人麿など柿本氏の氏寺)跡があります。


この地は、ちょうど前方後円墳である東大寺山古墳の上で、寺跡には発掘

された石棺の蓋である、平たい大きな石が鎮座します。この石の横下には、

発掘で出たらしき瓦を集めたカゴが、、、忘れ物?


廻れ右して、東の方の階段を登って行くと、ちょっと広い境内が開けます。
拝殿がでかくて立派過ぎ、どこからも本殿が見えません。ちょっと横から
と思っても木が邪魔して一部しか見えません。


神社の案内チラシから、檜皮葺きの三間社(梁間二間)の流造、千鳥破風

向拝付きの本殿で、桃山時代の様式で、荘厳さを感じ取れます。


ご祭神は、昔は和爾氏の祖である第5代考昭天皇の皇子を祀っていたそう

ですが、現在は大己貴命(おおなむちのみこと)、素戔嗚命、そして稲田姫命、

うん?稲田姫って、ひょっとして奇稲田姫(くしいなだひめ=櫛名田比売)じゃ

ないの?

わかった人が、このチラシを作っているのか、ちょっと疑問です。なお、和爾下

神社は大和郡山市にも同名の神社があります。



※写真上は、和爾下神社の鳥居 2016/06/13
※写真中は、柿本寺跡と石棺の蓋 2016/06/13
※写真中の下は、発掘で忘れたと思われる瓦破片 2016/06/13
※写真下は、拝殿 2016/06/13
※写真下の下は、透き塀から見える本殿 2016/06/13