和爾の町中にあるのが、和爾坐赤坂比古(わににますあかさかひこ)神社
です。和爾氏と言えば、昔の有力な豪族の名前で、この地が出身地と言う
事になります。
この神社のご祭神は、その和爾氏の祖神である阿田賀田須命( あたかたす
のみこと)となぜか市杵嶋比賣命?
和爾(わに)と言えば、大穴牟遲神の因幡の白兎に出てくる「和邇」と字こそ
違うが同じとすれば、海に関連してくるので、市杵嶋比賣命も有りなのか?
う~ん、、、微妙~
和爾氏は欠史八代(けっしはちだい)のうちの第5代考昭(こうしょう)天皇が
祖とされていて、天皇家とは応神天皇以降にこの氏族から多くの后を出して
勢力を広めたらしいのです。
滋賀県大津にもJR湖西線の駅に「和邇」があり、この周辺も和爾氏の勢力が
あったと言われています。
赤坂は、この地が赤土の坂であって、古代はこの赤土から染色の材料やら、
また埴輪に使う赤色粘土など、祭祀には欠かせない物だったようです。
この近くには、その名もずばりの赤土山古墳があり、大量の円筒埴輪や
朝顔型の埴輪列が発掘されています。
さらにすぐ西にある、和爾氏の関連の墓とされている東大寺山古墳からは
大量の刀剣類が発掘されていて、大和政権の武器庫であった石上神宮にも
近いところからある程度の武器の製造も担っていたのかも知れません。
神社境内は小さく、本殿は板葺き一間社春日造で両側に小さな祠(春日社と
八幡社)があります。普段は訪れる人も無く静かでひっそりとしていて、昔の
繁栄を思い浮かべるには良い場所でもあります。
※写真上は、和爾の町中(伊勢講の灯篭がある) 2016/06/10
※写真中は、和爾坐赤坂比古神社の鳥居 2016/06/10
※写真中の下は、和爾坐赤坂比古神社の境内と拝殿 2016/06/10
※写真下は、和爾坐赤坂比古神社の本殿 2016/06/10



