古事記の第15代応神天皇の項に、新羅の阿具奴摩と言う名の沼で昼寝を
していた女性の「おま○こ」に日が虹のごとく差して赤い玉が生まれ、この玉を
新羅の王の子である天之日矛(あめのひほこ)が譲り受けて、床に置いて
おくと綺麗なオネェちゃんに化けて(生まれ変わって)、妻にした。
しかしある日、その妻を詈(しかる)と
「凡吾者、非應爲汝妻之女。將行吾祖之國。」
「私は普通の人間、あなたの妻に応じる女ではないのです。將(よって)私の
祖国に行きます(帰ります)。」と言って、小船で難波の津に逃げて来ました。
「此者坐難波之比賣碁曾社、謂阿加流比賣神者也」
「これが阿加流比賣神(あかるひめのかみ)であって、難波の比賣碁曾社に
祀られています。」そして天之日矛が追って、日本にやって来たのは、有名な
お話です。
しかし、古事記ではなぜかここで終わってしまって、豊後のことは書かれて
いません。この天之日矛が日本書紀の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)と
同一人物と言われるのがこの部分なのですが、時代背景が違うのと「白石」と
「赤玉」の違い、日本書紀には阿加流比賣の名前が出てこないし、豊後が
出てこないなど隠された部分があるのはやはり天皇家にとっては不都合が
あるのだと疑いたくなります。
天之日矛(あめのひぼこ)と言えば但馬の出石神社の神様で、新羅から宝物を
持ってきたのを天皇が遣いをやって、見せてくれ(と言うより献上せよ)と
迫ったんですね。
阿加流比賣=比賣語曾神と言われますが、それなら「比賣語曾社神」とは
書かず「比賣語曾神」や「比賣語曾比賣」と書くはずです。なぜ阿加流比賣が
古事記にしか出てこないのかも不明です。


※写真上は、比賣語曾神社の表参道入り口 2016/06/20
※写真中は、比賣語曾神社の石鳥居 2016/06/20
※写真中の下は、比賣語曾神社の鳥居の扁額 2016/06/20
※写真下は、比賣語曾神社の拝殿 2016/06/20
※写真下の下は、比賣語曾神社の本殿 2016/06/20


