石上神宮からしばらく南のほうに歩くと右手に池があり、その周囲を通る
ように山の辺の道が曲がっています。そこに大きな「内山永久寺」跡の
案内板があります。
現在は、木々で覆われてお寺の自体は全くわかりませんが、案内板を
見ると江戸時代は相当な多くの伽藍を構えた大寺院だったことがわかり
ます。石上神宮の神宮寺としての存在でもあったのです。残念なのは、
明治初頭に起った廃仏毀釈の影響を受けて廃寺になり、多くの仏像などの
美術品が流出したことです。
山の辺の道に沿ったこの池も、この内山永久寺にあったもので、これだけが
残っています。また、石上神宮には出雲建雄神社(ご祭神は出雲建雄神
(いずものたけおのかみ))の拝殿として、鎮守社である住吉神社の拝殿が
遷されています。
小高い丘の上にあるので、風光明媚で秋の紅葉の時には、その美しさに
奈良の箕面とか西の日光とか、言われるくらいでした。それ故に江戸時代
には、明治まで6代続いた大和郡山藩主の柳沢家のお殿様が、四季折々に
この永久寺へ静養に来られたそうです。
その郡山からの道と伊勢本街道と交差する場所に「浄国寺」と言うお寺が
あります。このお寺の山門が、永久寺から移されたものです。本堂北側には、
その時に使われたと思われる駕籠(かご)無造作に掛けられています。
また、あまり知られていないのですが、このお寺の境内、本堂左前に空也上人
と言うお坊さんが隔夜結願(かくやけちがん=歩いて長谷寺へ1000日以上お参り
する修業)した名号碑(みょうごうひ)があります。
(山門にあるインターホンで、住職に尋ねると出てこられて親切に説明してくれ
ますので、時間があれば失礼の無いように、拝観しましょう)
なお、本堂の屋根には三葉葵のご紋が入った瓦があり、柳沢家を通して徳川家
との関係もあるのではないかと思います。(単に浄土宗と言うだけではないと
思うのですが、良くわかりません。)
※写真上は、内山永久寺の案内看板 2015/12/20
※写真中は、永久寺跡の看板 2015/12/20
※写真中の下は、石上神宮摂社の出雲建雄神社拝殿 2016/12/20
※写真下は、浄国寺の山門 2016/04/29
※写真下の下は、浄国寺の本堂横にある駕籠 2014/05/04




