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オフ期なんで、久しぶりに彫物作品紹介といきましょう。
今日紹介するのは、「石川五右衛門 千鳥の香炉とり」です。
この彫物は、皆さんご存知だとは思いますが、泉州では結構レアな部類に入るのではないでしょうか?
有名なところでは、岸和田旧市南上町(同市中北町先代)、同市現中北町のそれぞれ土呂幕正面があまりにもインパクトが強すぎますよね~
あとは、枡合などにもたまに入っている事があります。
そして、播州屋台でも数は少ないですが、松本義廣師の手により名作が刻まれています♪
それでは、石川五右衛門の説明をして私が撮った作品をいくつか見て頂きましょう。。
文楽や歌舞伎でも有名な石川五右衛門ですが、実在の人物かどうか不確かな部分があります。一説によると、五右衛門は河内の国石川村の出身で、幼名を五郎吉、 十四歳の頃、父母を亡くし、十七歳の時に伊賀に行き、 名張で福寛という南蛮人に忍法の手ほどきを受けと言われています。
十九歳の時、福寛の許を去り、忍者で有名な百地三太夫の家に奉公しますが、百地三太夫の後妻と不義密通の仲になってしまい、 あげくの果てには、三太夫の金子を盗でしまいました。。
その後、名を五右衛門と改め、京都・東山に住みつき、大勢のあぶれ者を子分にして、 本格的な盗人家業に入り、とうとう秀吉の伏見城に忍び入り、秀吉の枕元にあった青磁の名器「千鳥の香炉」を 盗もうとした時、千鳥が鳴いたため捕らえられてしまいました。
釜茹での死の直前に、「石川や浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」と、 悪は亡ばないと言い放ったそうです。
また、一説にはその頃秀吉に疎んじられていた関白・秀次が、 どうせ殺されるなら先手を打てと、五右衛門に秀吉殺害を依頼したとも云われておりますが、 はたして真相は如何に??
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▲トップの写真は父:木下舜次郎師の作品ですが、この作品は舜次郎師孫の健司師の渾身の作品です。
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▲播州松本義廣ここに在り♪
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▲こちらも秀逸♪
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▲作品は小さいですが開さんも彫っています♪開さんの大きな作品が見てみたいですね~
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▲そして、最後は私が一番見慣れた枡合です(笑)