なぜサザエさんは歳をとらない? 答え:漫画だから
日本国民に知らぬ人はいないほどの漫画『サザエさん』。フルネームは「フグ田サザエ」。夫フグ田マスオとの間にタラちゃんがいる。

Wikipedia: 長谷川町子
Wikipedia: マー姉ちゃん
『マー姉ちゃん』(マーねえちゃん)は、1979年(昭和54年)4月2日から9月29日まで放送されたNHK連続テレビ小説第23作である。
概要
原作は漫画家・長谷川町子の自伝エッセイ漫画『サザエさんうちあけ話』で、主人公マリ子のモデルは、長谷川町子の姉・毬子である。サザエさん誕生までの歩みと、そのこぼれ話を中心に熊谷真実の主演で描いた(なお、マリ子役の熊谷真実は、妹のマチ子役の田中裕子より年下である)。1979年の平均視聴率は42.8%、最高視聴率は49.9% (関東地区、ビデオリサーチ調べ)。放送終了後も、出演者・スタッフによる「マー姉ちゃんの会」と称する同窓会が毎年開かれている。
Internet Archiveには全48回分が保存されている。
☆ マー姉ちゃん - Sister Ma

Wikipedia; サザエさん
本作はいわゆるストーリー漫画ではなく、一貫した舞台、人物が登場する比較的独立したエピソードからなる。季節が移り変わっても登場人物達は年を取らない形式となっており、いわゆる「サザエさん時空」の語源と言える。しかし、新聞連載の4コマ漫画らしく、時代背景を象徴する内容が多いのが一つの大きな特徴となっており、終戦直後から復興期の時代に描かれた初期から中期と高度経済成長の時代に描かれた後期とでは作風が大きく異なっている。特に、初期から中期にかけてはサザエとその家族および彼らの周辺の人物たちの日常生活が主な題材であったが、後期には主に社会風刺をネタにした作風が目立つようになっている。連載は1974年で終了したが、1976年から1978年まで長谷川による『サザエさんえほん』が9冊刊行されている。
☆ サザエさん公式HP
ただ、少年時代の探偵家では朝日新聞をとっていなかったので連載の4駒漫画で知っているのはただ1つだけ(注)
アニメ版初回放送
TV放送に合せるように東宝により江利チエミ主演の「サザエさん」シリーズが映画化された。

Wikipedia: 江利チエミ
☆実写版
ワカメちゃんは何と松島トモ子だった!!!
Wikipedia: 松島トモ子
しかし、TV実写版第1回の主演は実は江利チエミではなかった!!!
なおアニメ版「サザエさん」は公式ページから視聴が可能で、映画版「サザエさん」シリーズは全編Youtube動画で視聴が可能となっています。以下無料の冒頭場面のみを掲載します(館長)。
☆ サザエさんの青春
☆ サザエさんの婚約旅行
☆ 福の神・サザエさん一家
面白うて やがて悲しき サザエかな
注:残念ながらここで画像を再現することはできなかったが、誰かのエッセイで取り上げられたので、概略は覚えている。
波平が仕事からの帰りがけに屋台のおでん屋で食べていた。少しすると運転手付きの車に乗った身なりの立派な男がその屋台に立ち寄った。亭主は注文も聞かず幾品かを差し出し、男は黙ってそれを食べ、そして帰って行った。「あれは私の兄でして、会社の社長をしてますよ」と亭主は言った。波平はその言葉を亭主の自嘲だと受け取ったが、実はそうではなかった。亭主は言った。「兄は昔から味付けが下手でしたね」。

Wikipedia: 長谷川町子
Wikipedia: マー姉ちゃん
『マー姉ちゃん』(マーねえちゃん)は、1979年(昭和54年)4月2日から9月29日まで放送されたNHK連続テレビ小説第23作である。
概要
原作は漫画家・長谷川町子の自伝エッセイ漫画『サザエさんうちあけ話』で、主人公マリ子のモデルは、長谷川町子の姉・毬子である。サザエさん誕生までの歩みと、そのこぼれ話を中心に熊谷真実の主演で描いた(なお、マリ子役の熊谷真実は、妹のマチ子役の田中裕子より年下である)。1979年の平均視聴率は42.8%、最高視聴率は49.9% (関東地区、ビデオリサーチ調べ)。放送終了後も、出演者・スタッフによる「マー姉ちゃんの会」と称する同窓会が毎年開かれている。
Internet Archiveには全48回分が保存されている。
☆ マー姉ちゃん - Sister Ma

Wikipedia; サザエさん
本作はいわゆるストーリー漫画ではなく、一貫した舞台、人物が登場する比較的独立したエピソードからなる。季節が移り変わっても登場人物達は年を取らない形式となっており、いわゆる「サザエさん時空」の語源と言える。しかし、新聞連載の4コマ漫画らしく、時代背景を象徴する内容が多いのが一つの大きな特徴となっており、終戦直後から復興期の時代に描かれた初期から中期と高度経済成長の時代に描かれた後期とでは作風が大きく異なっている。特に、初期から中期にかけてはサザエとその家族および彼らの周辺の人物たちの日常生活が主な題材であったが、後期には主に社会風刺をネタにした作風が目立つようになっている。連載は1974年で終了したが、1976年から1978年まで長谷川による『サザエさんえほん』が9冊刊行されている。
☆ サザエさん公式HP
ただ、少年時代の探偵家では朝日新聞をとっていなかったので連載の4駒漫画で知っているのはただ1つだけ(注)
アニメ版初回放送
TV放送に合せるように東宝により江利チエミ主演の「サザエさん」シリーズが映画化された。

Wikipedia: 江利チエミ
☆実写版
ワカメちゃんは何と松島トモ子だった!!!
Wikipedia: 松島トモ子
しかし、TV実写版第1回の主演は実は江利チエミではなかった!!!
なおアニメ版「サザエさん」は公式ページから視聴が可能で、映画版「サザエさん」シリーズは全編Youtube動画で視聴が可能となっています。以下無料の冒頭場面のみを掲載します(館長)。
☆ サザエさんの青春
☆ サザエさんの婚約旅行
☆ 福の神・サザエさん一家
面白うて やがて悲しき サザエかな
注:残念ながらここで画像を再現することはできなかったが、誰かのエッセイで取り上げられたので、概略は覚えている。
波平が仕事からの帰りがけに屋台のおでん屋で食べていた。少しすると運転手付きの車に乗った身なりの立派な男がその屋台に立ち寄った。亭主は注文も聞かず幾品かを差し出し、男は黙ってそれを食べ、そして帰って行った。「あれは私の兄でして、会社の社長をしてますよ」と亭主は言った。波平はその言葉を亭主の自嘲だと受け取ったが、実はそうではなかった。亭主は言った。「兄は昔から味付けが下手でしたね」。
昔は少年は皆んな知っていた。しかし今は誰も知らない 『怪傑ハリマオ』

主題歌の熱唱は三橋美智也

その理由は....
☆ WEB歴史街道
ーマレーの虎・谷豊~「快傑ハリマオ」のモデルとなった男の生涯
サングラスとターバン姿をトレードマークに、マレー半島で善を助け、悪を懲らしめる正義の味方「快傑ハリマオ」。昭和35年(1960)に石森章太郎の絵で「少年マガジン」に連載が始まり、同年テレビドラマ化もされたことを、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。この「快傑ハリマオ」のモデルとなったのが、谷豊です。
怪傑ハリマオ最終回(Daily Motion)
名跡アンコールワットでもロケが行われた...
しかし、この物語は電撃作戦でマレー半島を占領し、「マライの虎」と呼ばれた陸軍大将山下泰文にこじつけ、谷豊を英雄史した「旧大日本帝国」の男達が見た幻。実像は舞台となった国(マレーシア)の人々に聞けば自ずと判明する。
因みに「ソロ河の逆襲」で取り上げられている「ソロ河」はインドネシアの大河である。
渡邊はま子「ブンガワン・ソロ/Bengawan Solo(ソロの流れ)」
BULE NYANYI BENGAWAN SOLO COVER by WayangTokek (Hak penciptaan dari Gesang Martohartono)
参考上映:Tiger of malaya / marai no tora マライの虎 1943
受け取る国によって評価が一変する例は他にも「夕陽と拳銃」がある。男たちはなぜ
どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている
いや昨今の平成生まれの若い人たちは知らないかも知れない。昭和の時代を代表する謎の人物、それが月光仮面でした。
Wikipedia: ☆ 月光仮面
月光仮面(げっこうかめん)は、KRテレビ(現・TBSテレビ)と宣弘社が制作し、『タケダアワー』第1作として1958年2月24日から1959年7月5日まで放送されたテレビ冒険活劇番組、またその覆面主人公ヒーローの名。川内康範原作。
概要
日本のヒーロー番組の元祖でもある。時代劇と探偵活劇の要素を組み合わせた作風は、その後のヒーロー番組に多大な影響を与えている。
漫画化された後に実写映画化されている(注)。その後、1972年にテレビアニメ化、1981年に実写映画化、1999年にはキャラクターを転用したテレビギャグアニメ「ごぞんじ!月光仮面くん」も制作された。

注:つまり、月刊漫画雑誌の連載が基になっているわけではない。下左の挿絵は桑田次郎、右は石原豪人作。アニメ版のプロフィールは桑田次郎の作品を基にしているらしい。
長年にわたって「日本初のフィルム収録によるテレビ映画」と言われていたが、本作品以前の1957年に放送を開始していた『ぽんぽこ物語』のフィルムが2019年に発見され、現在はそちらが日本初とされている。
企画経緯
『月光仮面』前年の1957年の11月からKRテレビ(KRT)は、宣弘社を番組代理店に、10分間の帯番組形式の「国産初のテレビ番組」として、コメディー時代劇『ぽんぽこ物語』(東京テレビ映画制作、宮崎博史原作・川内康範脚本)を放送していた。しかし、この番組は翌年2月での打ち切りが決まり、武田薬品工業がスポンサーを降板しそうになった。このため武田薬品と縁の深い広告代理店宣弘社としては番組枠を押さえ続けるため、その後釜としてのテレビ番組制作を急遽企画しなければならなくなった。
しかし、KRT側から提示された予算は10万円で、宣弘社社長の小林利雄は相場を知らずに引き受けたが、この当時のテレビ業界では「30分枠のテレビ番組で80万から100万円の制作費が必要」といわれており、小林は旧知である東映のマキノ光雄専務に相談したが、「とても無理」として相手にしてもらえなかった。そこで小林は、自社制作によってこの予算不足を補い、広告代理店としての面目を保つべく、この『月光仮面』の製作のためにテレビ・ラジオ広告制作会社であった「宣弘社プロダクション」にテレビ番組制作部門を設立した。
小林は「スーパーマンみたいなヒーローにしよう!」といったという。川内もまた、備蓄の少ない当時の日本が貴重なドルを費やしてアメリカのテレビドラマを輸入することは国益に反すると憂慮しており、これに応えて同年の暮れには映画製作者の西村俊一を小林に引き合わせ、新しい番組企画に取り組むこととした。
翌年の年頭から企画に参加した西村は、「『鞍馬天狗』のような番組はどうか」と川内に提案、予算不足から時代劇は無理と判断し、これを現代劇とする方向が決まった。そこで、川内はこの西村の案を基に、人々の危機に颯爽と現れる『おどる仮面』との番組原案を執筆した。この題名を物足りなく感じた西村は、「人々の苦難を救済する=菩薩」をイメージしたネーミングとして、「日光菩薩の名を借りた『日光仮面』」を考案、さらに進めて「月光菩薩の名を借りた『月光仮面』」へと発展し、これが決定案となった。
月光仮面は誰でしょう、東映映画版「サタンの爪」オープニング及びエンディング
少女役は松島とも子
月光仮面昭和35年 「マンモスコング」オープニング
真に残念ながら手間をかけて復刻した動画であるため、ネット上にフル動画は1話分とてない。
左はブルーレイDVD BOX。
商品の説明:「月光仮面誕生50周年」を契機として、宣弘社がネガフィルムからHDテレシネを敢行。
スクラッチやパラ消し等、レタッチ作業は施していないものの高品位なデジタル技術により見事に生まれ変わった「月光仮面」。薄青色の画面はクッキリと黒く、コントラストも鮮やかに!
次々と月光仮面を襲うどくろ仮面、謎の魔人タイガー、バテレンのお由。祝探偵を助ける繁、木の実、五郎八、松田刑事。多彩な登場人物と小気味よい演出で最高視聴率68.7%を誇った国民的TV映画『月光仮面』第一部「どくろ仮面篇」がHDリマスターでいよいよ登場!
※第一話、第九話~第十二話、第四十一話、第四十四話は欠番となります。
※第二話、第三話、第四話、第五話、第六話、第七話、第八話はネガの状態が悪くHDテレシネを行なっておりません。
※ハイビジョンテレシネによりパラやスクラッチが従来作品以上に目立つ場合があります。予めご了承下さい。
月光仮面の第一部は歴代通常「どくろ仮面」と伝えられているのですがこの最終回を観ると 第一部のタイトルは第1回の標題「月光仮面現る」であったと思われます。現存する第一部が映像化される以前,某誌様が調査した結果やネット社会になってのウィキペディアではどちらも第一部は71回と書かれていますがこの復刻された映像を観る限り70回が正しいと思われます。 いずれにしても某誌様の53回「事件は飛ぶ」が重複した事情やウィキペディアの70回「不安のひととき」の謎はこれまたロマンを駆り立てられます🌙
洋画探偵はかねてより原作者である川内康範こそが実は月光仮面ではないかと思っていました。
Wikipedia: 川内康範
ー 1984年(昭和59年)のグリコ・森永事件では、週刊誌上(週刊読売)にて「かい人21面相」を名乗る犯人に対し「私財1億2000万円を提供するから、この事件から手をひけ」と呼びかける。犯人は川内の申し出に対し「月光仮面の 川内はん あんたも ええ男やな」と前置きした上で、「けどな わしら こじきや ない」と拒絶したため(1984年(昭和59年)11月22日付声明文)、このことで事件が収束に向かうことは無かったものの、大きな話題を呼んだ。
「七つの顔を持つ男」ではありませんが、その活動が小説、脚本、作詞、政治批評、宗教など多方面にわたっており、不思議な存在感から反骨の国士と呼ばれました。


中でも『まんが日本昔ばなし』の脚本が川内康範であることは特筆に価するでしょう。
Wikipecdia: グリコ・森永事件
さらに「月光仮面」を名乗る男の存在が川内康範の影響を受けているらしいこと。
☆ 大みそか 交番に「月光仮面」から寄付金 50年続く 新潟 佐渡
で、次回はあまりにも有名すぎて誰も最終話を観ていないと言う『ドラエモン』をお送りする予定です。
Wikipedia: ☆ 月光仮面
月光仮面(げっこうかめん)は、KRテレビ(現・TBSテレビ)と宣弘社が制作し、『タケダアワー』第1作として1958年2月24日から1959年7月5日まで放送されたテレビ冒険活劇番組、またその覆面主人公ヒーローの名。川内康範原作。
概要
日本のヒーロー番組の元祖でもある。時代劇と探偵活劇の要素を組み合わせた作風は、その後のヒーロー番組に多大な影響を与えている。
漫画化された後に実写映画化されている(注)。その後、1972年にテレビアニメ化、1981年に実写映画化、1999年にはキャラクターを転用したテレビギャグアニメ「ごぞんじ!月光仮面くん」も制作された。

注:つまり、月刊漫画雑誌の連載が基になっているわけではない。下左の挿絵は桑田次郎、右は石原豪人作。アニメ版のプロフィールは桑田次郎の作品を基にしているらしい。
長年にわたって「日本初のフィルム収録によるテレビ映画」と言われていたが、本作品以前の1957年に放送を開始していた『ぽんぽこ物語』のフィルムが2019年に発見され、現在はそちらが日本初とされている。
企画経緯
『月光仮面』前年の1957年の11月からKRテレビ(KRT)は、宣弘社を番組代理店に、10分間の帯番組形式の「国産初のテレビ番組」として、コメディー時代劇『ぽんぽこ物語』(東京テレビ映画制作、宮崎博史原作・川内康範脚本)を放送していた。しかし、この番組は翌年2月での打ち切りが決まり、武田薬品工業がスポンサーを降板しそうになった。このため武田薬品と縁の深い広告代理店宣弘社としては番組枠を押さえ続けるため、その後釜としてのテレビ番組制作を急遽企画しなければならなくなった。
しかし、KRT側から提示された予算は10万円で、宣弘社社長の小林利雄は相場を知らずに引き受けたが、この当時のテレビ業界では「30分枠のテレビ番組で80万から100万円の制作費が必要」といわれており、小林は旧知である東映のマキノ光雄専務に相談したが、「とても無理」として相手にしてもらえなかった。そこで小林は、自社制作によってこの予算不足を補い、広告代理店としての面目を保つべく、この『月光仮面』の製作のためにテレビ・ラジオ広告制作会社であった「宣弘社プロダクション」にテレビ番組制作部門を設立した。
小林は「スーパーマンみたいなヒーローにしよう!」といったという。川内もまた、備蓄の少ない当時の日本が貴重なドルを費やしてアメリカのテレビドラマを輸入することは国益に反すると憂慮しており、これに応えて同年の暮れには映画製作者の西村俊一を小林に引き合わせ、新しい番組企画に取り組むこととした。
翌年の年頭から企画に参加した西村は、「『鞍馬天狗』のような番組はどうか」と川内に提案、予算不足から時代劇は無理と判断し、これを現代劇とする方向が決まった。そこで、川内はこの西村の案を基に、人々の危機に颯爽と現れる『おどる仮面』との番組原案を執筆した。この題名を物足りなく感じた西村は、「人々の苦難を救済する=菩薩」をイメージしたネーミングとして、「日光菩薩の名を借りた『日光仮面』」を考案、さらに進めて「月光菩薩の名を借りた『月光仮面』」へと発展し、これが決定案となった。
月光仮面は誰でしょう、東映映画版「サタンの爪」オープニング及びエンディング
少女役は松島とも子
月光仮面昭和35年 「マンモスコング」オープニング
真に残念ながら手間をかけて復刻した動画であるため、ネット上にフル動画は1話分とてない。
左はブルーレイDVD BOX。商品の説明:「月光仮面誕生50周年」を契機として、宣弘社がネガフィルムからHDテレシネを敢行。
スクラッチやパラ消し等、レタッチ作業は施していないものの高品位なデジタル技術により見事に生まれ変わった「月光仮面」。薄青色の画面はクッキリと黒く、コントラストも鮮やかに!
次々と月光仮面を襲うどくろ仮面、謎の魔人タイガー、バテレンのお由。祝探偵を助ける繁、木の実、五郎八、松田刑事。多彩な登場人物と小気味よい演出で最高視聴率68.7%を誇った国民的TV映画『月光仮面』第一部「どくろ仮面篇」がHDリマスターでいよいよ登場!
※第一話、第九話~第十二話、第四十一話、第四十四話は欠番となります。
※第二話、第三話、第四話、第五話、第六話、第七話、第八話はネガの状態が悪くHDテレシネを行なっておりません。
※ハイビジョンテレシネによりパラやスクラッチが従来作品以上に目立つ場合があります。予めご了承下さい。
月光仮面の第一部は歴代通常「どくろ仮面」と伝えられているのですがこの最終回を観ると 第一部のタイトルは第1回の標題「月光仮面現る」であったと思われます。現存する第一部が映像化される以前,某誌様が調査した結果やネット社会になってのウィキペディアではどちらも第一部は71回と書かれていますがこの復刻された映像を観る限り70回が正しいと思われます。 いずれにしても某誌様の53回「事件は飛ぶ」が重複した事情やウィキペディアの70回「不安のひととき」の謎はこれまたロマンを駆り立てられます🌙
洋画探偵はかねてより原作者である川内康範こそが実は月光仮面ではないかと思っていました。
Wikipedia: 川内康範
ー 1984年(昭和59年)のグリコ・森永事件では、週刊誌上(週刊読売)にて「かい人21面相」を名乗る犯人に対し「私財1億2000万円を提供するから、この事件から手をひけ」と呼びかける。犯人は川内の申し出に対し「月光仮面の 川内はん あんたも ええ男やな」と前置きした上で、「けどな わしら こじきや ない」と拒絶したため(1984年(昭和59年)11月22日付声明文)、このことで事件が収束に向かうことは無かったものの、大きな話題を呼んだ。
「七つの顔を持つ男」ではありませんが、その活動が小説、脚本、作詞、政治批評、宗教など多方面にわたっており、不思議な存在感から反骨の国士と呼ばれました。


中でも『まんが日本昔ばなし』の脚本が川内康範であることは特筆に価するでしょう。

Wikipecdia: グリコ・森永事件
さらに「月光仮面」を名乗る男の存在が川内康範の影響を受けているらしいこと。
☆ 大みそか 交番に「月光仮面」から寄付金 50年続く 新潟 佐渡
で、次回はあまりにも有名すぎて誰も最終話を観ていないと言う『ドラエモン』をお送りする予定です。