狭き門より入るとそこに田園風景が...あり得ない愛『田園交響楽』
「狭き門」に入る前にもうジイドに躓いてしまった読者なら、「田園交響楽」と聞けば「あ、これは美しい愛の物語」とうっかり思い込んでもおかしくはない。が、豈図らんや(あにはからんや)狭き門より一層主題が不明確で、結末も「純愛もの」とは異なる作品となっています。
アンドレ・ジッド「田園交響楽」(ラジオドラマ)、18分
私はある老婆を看取った際、盲目の少女と出会った。 いつしかジェルトリュードと名付けられた彼女から 目が離せなくなった私は…。 熱心なプロテスタントであった作者の恋愛観、 宗教感が根底に描かれており、 母国フランスだけでなく日本でも映画化された。 ■出演 ・牧師:出先拓也 ・ジェルトリュード:五十嵐由佳 ・ジャック:中澤まさとも ・アメリ:大島由莉子 ・マルタン:平居正行 ☆脚本:吉岡平
小川のほとりの情景
この曲は、交響曲第6番「田園」の第2楽章で、「小川のほとりの情景」という標題がつけられています。ゆったりと流れる音楽に身を任せると心地よい気分になれ、約12分30秒ですが、日頃の慌ただしさから解放される曲だと思います。なお、最後に3種類ほどの鳥の鳴き声が聞こえ、この楽章が静かに終わります。
ジイド作「田園交響楽」では盲目の娘ジェルトリュードが、「この曲のように素晴らしい世界に入れるのね」と憧れます。
ピエール・ブランシャール (出演), ジャン・ドラノワ (監督), ミシェル・モルガン (出演)
ok.ruから
La Symphonie pastorale (1946)
そして思いがけずも日本で....
Wikipedia: 田園交響楽
ー田園交響楽 - 1938年に日本でも山本薩夫監督によって同名タイトルの映画がつくられている。内容は本作を翻案・脚色したものである。原節子が盲目の少女を演じている。下記はP.C.L.製作所(現東宝)が所蔵していたモノクロネガに着色して再現した逸品。原節子が悲しい...
映画『田園交響樂』(1938年公開)
探偵は観ていないのでレビューはYahooのレビュアーさんにお任せする。
☆ お持ち帰される原節子
アンドレ・ジッド「田園交響楽」(ラジオドラマ)、18分
私はある老婆を看取った際、盲目の少女と出会った。 いつしかジェルトリュードと名付けられた彼女から 目が離せなくなった私は…。 熱心なプロテスタントであった作者の恋愛観、 宗教感が根底に描かれており、 母国フランスだけでなく日本でも映画化された。 ■出演 ・牧師:出先拓也 ・ジェルトリュード:五十嵐由佳 ・ジャック:中澤まさとも ・アメリ:大島由莉子 ・マルタン:平居正行 ☆脚本:吉岡平
小川のほとりの情景
この曲は、交響曲第6番「田園」の第2楽章で、「小川のほとりの情景」という標題がつけられています。ゆったりと流れる音楽に身を任せると心地よい気分になれ、約12分30秒ですが、日頃の慌ただしさから解放される曲だと思います。なお、最後に3種類ほどの鳥の鳴き声が聞こえ、この楽章が静かに終わります。
ジイド作「田園交響楽」では盲目の娘ジェルトリュードが、「この曲のように素晴らしい世界に入れるのね」と憧れます。
ピエール・ブランシャール (出演), ジャン・ドラノワ (監督), ミシェル・モルガン (出演)
ok.ruから
La Symphonie pastorale (1946)
そして思いがけずも日本で....
Wikipedia: 田園交響楽
ー田園交響楽 - 1938年に日本でも山本薩夫監督によって同名タイトルの映画がつくられている。内容は本作を翻案・脚色したものである。原節子が盲目の少女を演じている。下記はP.C.L.製作所(現東宝)が所蔵していたモノクロネガに着色して再現した逸品。原節子が悲しい...
映画『田園交響樂』(1938年公開)
探偵は観ていないのでレビューはYahooのレビュアーさんにお任せする。
☆ お持ち帰される原節子
狭き門より入れって、そんな無理なコトを 2. 幻のラジオドラマ『狭き門』
(前回よりの続き)
ジッドの『狭き門』は名作だったのか迷作だったのか、本人にとっても読者にとっても未だに謎という外はない。少なくとも言えることは、これまで映画化が試みられた例はないという事。

しかし、思い出してみるとジードの「狭き門」を知ったのは本に出会う前のラジオ・ドラマではなかったろうか?その頃進行していた「初恋もどき」に重ねてアリサの顔を想像していたのではなかったか?
NHK放送史、アーカイブス編(https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=backstage013)に貴重なデータがある:
☆ ラジオドラマ資源:1950年放送データ
1950-08-07 T11:00 (月)
~08-19 R1_私の本棚 狭き門 (12回) M15*12 アンドレ・ジイド:原作.(NHK東京) 出演:樫村治子. 月-土放送
☆ ラジオドラマ資源:1960年放送データ
1962-01-15 T21:00 (月) R2_芸術劇場 狭き門 M60 アンドレ・ジイド:原作,山内義雄:翻訳.(NHK東京) 出演:加藤治子,高橋昌也,松下砂稚子;他. FMで同時放送
むろん山形の田舎町住まいの探偵少年はFM受信機なぞ持ち合わせていなかったから、AM放送だったのだと思う。アリサの声は加藤治子さんだったのだ!
しかし、このデータによれば、音源は残っていないようで、再視聴は望めそうもない、やはり青春はもう戻らないのだ。
実はこの一連の回想は前回取り上げたエゴン・シーレ/クリムトの映画鑑賞時にペギー葉山の歌った「学生時代」の歌詞に「おや?」という発見があったからである。
学生時代(ペギー葉山)昭和40年
♪賛美歌を歌いながら清い死を夢みた
何の装いもせずに口数も少なく
旨の奥に秘めていた恋への憧れは
いつも空しく破れて独り書いた日記
本棚に目を遣ればあの頃読んだ小説
過ぎし日よわたしの学生時代
♪ローソクの灯に輝く十字架を見つめて 白い指を組みながらうつむいていた友
その美しい横顔姉のように慕い いつまでも変わらずにと願った幸せ
テニスコート、キャンプファイア 懐かしい日々は帰らず
素晴らしいあの頃 学生時代
.......
ならば本国フランスではどうだったのかと検索してみたところ、あったのです!
Wikipedia: Jean Topart
Radio
ー1947 : La porte étroite (pièce radio) - André Gide, avec Jean Vilar, Juliette Gréco, etc.
ジャン・トパールについて日本で知られているのは彼が「夜の訪問者」や「太陽のならずもの」に出演してことぐらいで、日本語版のWikipediaすらありません。そして残念ながらジュリエット・グレコが演じたと思われるアリサを聴ける音源は現存しないようです(泣く。
そう言えばあの頃「これが恋か」と思わせた相手がどこかジュリエット・グレコに似ていたような...
下記動画はジュリエット・グレコではなくフランソワーズ・アルディが歌う「幸せな愛は無い」。これが「狭き門」の結論ということになるでしょうか。
Il n'y a pas d'amour heureux(幸せな愛は無い)
Composer: Georges Brassens
Lyricist: Louis Aragon
ところが、この「ジャン繋がり」から思いがけない発見が。なんとジッド本人を相手に「狭き門」について語り合ったラジオマンがいたのです。その名はジャン・アムルーシュ
"La porte étroite" · André Gide · Jean Amrouche
Wikipedia: ジャン・アムルーシュ
最後に「狭き門」全編を朗読の形でお届けします。音声はスペイン語ですが、フランス語の字幕を読むことができます。
異次元へと続く・・・
ジッドの『狭き門』は名作だったのか迷作だったのか、本人にとっても読者にとっても未だに謎という外はない。少なくとも言えることは、これまで映画化が試みられた例はないという事。

しかし、思い出してみるとジードの「狭き門」を知ったのは本に出会う前のラジオ・ドラマではなかったろうか?その頃進行していた「初恋もどき」に重ねてアリサの顔を想像していたのではなかったか?
NHK放送史、アーカイブス編(https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=backstage013)に貴重なデータがある:
☆ ラジオドラマ資源:1950年放送データ
1950-08-07 T11:00 (月)
~08-19 R1_私の本棚 狭き門 (12回) M15*12 アンドレ・ジイド:原作.(NHK東京) 出演:樫村治子. 月-土放送
☆ ラジオドラマ資源:1960年放送データ
1962-01-15 T21:00 (月) R2_芸術劇場 狭き門 M60 アンドレ・ジイド:原作,山内義雄:翻訳.(NHK東京) 出演:加藤治子,高橋昌也,松下砂稚子;他. FMで同時放送
むろん山形の田舎町住まいの探偵少年はFM受信機なぞ持ち合わせていなかったから、AM放送だったのだと思う。アリサの声は加藤治子さんだったのだ!
しかし、このデータによれば、音源は残っていないようで、再視聴は望めそうもない、やはり青春はもう戻らないのだ。
実はこの一連の回想は前回取り上げたエゴン・シーレ/クリムトの映画鑑賞時にペギー葉山の歌った「学生時代」の歌詞に「おや?」という発見があったからである。
学生時代(ペギー葉山)昭和40年
♪賛美歌を歌いながら清い死を夢みた
何の装いもせずに口数も少なく
旨の奥に秘めていた恋への憧れは
いつも空しく破れて独り書いた日記
本棚に目を遣ればあの頃読んだ小説
過ぎし日よわたしの学生時代
♪ローソクの灯に輝く十字架を見つめて 白い指を組みながらうつむいていた友
その美しい横顔姉のように慕い いつまでも変わらずにと願った幸せ
テニスコート、キャンプファイア 懐かしい日々は帰らず
素晴らしいあの頃 学生時代
.......
ならば本国フランスではどうだったのかと検索してみたところ、あったのです!
Wikipedia: Jean Topart

Radio
ー1947 : La porte étroite (pièce radio) - André Gide, avec Jean Vilar, Juliette Gréco, etc.
ジャン・トパールについて日本で知られているのは彼が「夜の訪問者」や「太陽のならずもの」に出演してことぐらいで、日本語版のWikipediaすらありません。そして残念ながらジュリエット・グレコが演じたと思われるアリサを聴ける音源は現存しないようです(泣く。
そう言えばあの頃「これが恋か」と思わせた相手がどこかジュリエット・グレコに似ていたような...
下記動画はジュリエット・グレコではなくフランソワーズ・アルディが歌う「幸せな愛は無い」。これが「狭き門」の結論ということになるでしょうか。
Il n'y a pas d'amour heureux(幸せな愛は無い)
Composer: Georges Brassens
Lyricist: Louis Aragon
ところが、この「ジャン繋がり」から思いがけない発見が。なんとジッド本人を相手に「狭き門」について語り合ったラジオマンがいたのです。その名はジャン・アムルーシュ
"La porte étroite" · André Gide · Jean Amrouche
Wikipedia: ジャン・アムルーシュ
最後に「狭き門」全編を朗読の形でお届けします。音声はスペイン語ですが、フランス語の字幕を読むことができます。
異次元へと続く・・・
狭き門より入れって、そんな無理なコトを 1.アンドレ・ジイド作『狭き門』
昔はアンドレ・ジイドと呼んでいた。今はアンドレ・ジッドだそうで、第一もうじき門は閉まる...
先にはフランス語の高く厚い壁もある(泣く。
かつてワタクシ洋画探偵は映画化された「狭き門」を探したものだった...
映画探偵室:アンドレ・ジイドの『狭き門』
2017年11月26日の投稿である。あれ以来、いや初めて「狭き門」をブルーを基調としたカバー表紙の新潮青春文学叢書で読んで以来抱き続けた「謎」は、結局「アンドレ・ジイド」という謎、「アンドレ・ジイドという狭き門」だったのか?結局、門を開けるのも他人頼りなのか?
☆ Wikipedia: 狭き門
ー(部分引用)物語の語り手であり主人公でもあるジェロームは、2歳年上の従姉であるアリサに恋心を抱く。アリサもまたジェロームを愛しているが、彼女の妹のジュリエットもまたジェロームに好意を抱いていた。 しかし、ジュリエットと周囲の人々は両者が結ばれることに好意的であるも、神の国に憧れを持つ彼女は、妹への遠慮もあり結婚をためらい続ける。それは、二人の思いを知ったジュリエットが身を引いてもなお変わらなかった。
アリサは最終的に地上での幸福を放棄し、ジェロームとの結婚をあきらめてついには命を落とす。残されたジェロームは、アリサが遺した日記に綴られた自分への熱い思いを胸に、『全てを忘れてしまうまで』一人生きていくことを決める。
この作品において、アリサの自己犠牲の精神は美しく描かれている。しかしジッドはこの作品を通して、アリサのような自己犠牲に対する批判を行った。
ー ジッド自身のこの作品への言及
1894年10月13日 日記
苦悩の可能性。熱愛できなかったと思っている魂。『マドモアゼル・クレールの死』
1907年6月22日 日記
この惨めな作品を完全にはじめから書きなおすのはこれで4度目。これまでに苦しみに苦しんだ作品だ。[中略]だが、1日も終わる頃、全力をふりしぼったおかげで、この形の定かでない塊を動かせたような気がした。
1908年10月17日 ポール・クローデルへの手紙
ぼくはこれを書くのに長い年月をかけました。(最初に考えついたのは1881年で、題は『正しくこの世を去ることについてのエッセー』とするつもりでした。)この小説のアイデアはぼくにこびりついて、久しく離れませんでした。読んでくだされば、これがたんなる文学的主題を扱ったものでないことは、きっと分って頂けるでしょう。[中略]それから、この書物のプロテスタンチスムが[カトリックである]あなたをひどく怒らせないように念じています。
☆ Wikipedia: アンドレ・ジッド
☆ 松岡正剛「千夜千冊」
狭き門 La Porté Étroite 1909
アンドレ・ジッド
[訳]山内義雄
新潮文庫 1954
ー (部分引用)こうした蛹虫ジッドがサナギから脱出しはじめるのは、二つ年上の従姉マドレーヌ・ロンドーの清純な美しさに寄せた思慕にめざめたときからである。ここからは青少年期にいる者のどこからでもおこることであるが、恋がなにもかもを変えるきっかけになった。ジッドはジェロームに、マドレーヌはアリサになっていく。『背徳者』のマルスリーヌもマドレーヌの変形になっていく。もっとも小説では、アリサはジェロームに無上の愛をのこして自らの命を絶っていくのだが、実生活ではジッドはマドレーヌに求愛ののち結婚する。
ジッドとマドレーヌの結婚生活はけっこう傾いていた。死後に公開された『秘められた日記』(人文書院)が明かしているのだが、ジッドはマドレーヌのような精神的に清純な女性には性欲がないと思いこんでいたという。
ただ、にわかには信じがたい。ジッドが異常性欲の持ち主で、また過度の同性愛志向をもっていたこともよく知られているからだ(ジッドの告白もある)。実際にマドレーヌが「白い結婚」のうえの“処女妻”として生涯を送ったかどうかも(そう言われているのだが)、あきらかではない。このあたりジッドは何かを隠し、何かを暗示して死んでいったふうにも見える。
方々検索している中に、自ブログで鑑賞不能となっている動画のその後を辿って、フランスではかつてラジオドラマ化されたという情報を得た。
が、長くなりそうなので動画編はその2で書くつもり(館長)。
先にはフランス語の高く厚い壁もある(泣く。かつてワタクシ洋画探偵は映画化された「狭き門」を探したものだった...
映画探偵室:アンドレ・ジイドの『狭き門』
2017年11月26日の投稿である。あれ以来、いや初めて「狭き門」をブルーを基調としたカバー表紙の新潮青春文学叢書で読んで以来抱き続けた「謎」は、結局「アンドレ・ジイド」という謎、「アンドレ・ジイドという狭き門」だったのか?結局、門を開けるのも他人頼りなのか?
☆ Wikipedia: 狭き門
ー(部分引用)物語の語り手であり主人公でもあるジェロームは、2歳年上の従姉であるアリサに恋心を抱く。アリサもまたジェロームを愛しているが、彼女の妹のジュリエットもまたジェロームに好意を抱いていた。 しかし、ジュリエットと周囲の人々は両者が結ばれることに好意的であるも、神の国に憧れを持つ彼女は、妹への遠慮もあり結婚をためらい続ける。それは、二人の思いを知ったジュリエットが身を引いてもなお変わらなかった。
アリサは最終的に地上での幸福を放棄し、ジェロームとの結婚をあきらめてついには命を落とす。残されたジェロームは、アリサが遺した日記に綴られた自分への熱い思いを胸に、『全てを忘れてしまうまで』一人生きていくことを決める。
この作品において、アリサの自己犠牲の精神は美しく描かれている。しかしジッドはこの作品を通して、アリサのような自己犠牲に対する批判を行った。
ー ジッド自身のこの作品への言及
1894年10月13日 日記
苦悩の可能性。熱愛できなかったと思っている魂。『マドモアゼル・クレールの死』
1907年6月22日 日記
この惨めな作品を完全にはじめから書きなおすのはこれで4度目。これまでに苦しみに苦しんだ作品だ。[中略]だが、1日も終わる頃、全力をふりしぼったおかげで、この形の定かでない塊を動かせたような気がした。
1908年10月17日 ポール・クローデルへの手紙
ぼくはこれを書くのに長い年月をかけました。(最初に考えついたのは1881年で、題は『正しくこの世を去ることについてのエッセー』とするつもりでした。)この小説のアイデアはぼくにこびりついて、久しく離れませんでした。読んでくだされば、これがたんなる文学的主題を扱ったものでないことは、きっと分って頂けるでしょう。[中略]それから、この書物のプロテスタンチスムが[カトリックである]あなたをひどく怒らせないように念じています。
☆ Wikipedia: アンドレ・ジッド
☆ 松岡正剛「千夜千冊」
狭き門 La Porté Étroite 1909
アンドレ・ジッド
[訳]山内義雄
新潮文庫 1954
ー (部分引用)こうした蛹虫ジッドがサナギから脱出しはじめるのは、二つ年上の従姉マドレーヌ・ロンドーの清純な美しさに寄せた思慕にめざめたときからである。ここからは青少年期にいる者のどこからでもおこることであるが、恋がなにもかもを変えるきっかけになった。ジッドはジェロームに、マドレーヌはアリサになっていく。『背徳者』のマルスリーヌもマドレーヌの変形になっていく。もっとも小説では、アリサはジェロームに無上の愛をのこして自らの命を絶っていくのだが、実生活ではジッドはマドレーヌに求愛ののち結婚する。
ジッドとマドレーヌの結婚生活はけっこう傾いていた。死後に公開された『秘められた日記』(人文書院)が明かしているのだが、ジッドはマドレーヌのような精神的に清純な女性には性欲がないと思いこんでいたという。
ただ、にわかには信じがたい。ジッドが異常性欲の持ち主で、また過度の同性愛志向をもっていたこともよく知られているからだ(ジッドの告白もある)。実際にマドレーヌが「白い結婚」のうえの“処女妻”として生涯を送ったかどうかも(そう言われているのだが)、あきらかではない。このあたりジッドは何かを隠し、何かを暗示して死んでいったふうにも見える。
方々検索している中に、自ブログで鑑賞不能となっている動画のその後を辿って、フランスではかつてラジオドラマ化されたという情報を得た。
が、長くなりそうなので動画編はその2で書くつもり(館長)。