訃報に接して ウイリアム・フリードキン監督の『真夜中のパーティ』 | 映画探偵室

訃報に接して ウイリアム・フリードキン監督の『真夜中のパーティ』

ウイリアム・フリードキン監督が2023年8月7日に逝去したことが報じられて一時はネット上は様々な回顧談や再評価の記事で賑わいましたが、もうすでにそれも下火になっているようです。多くの方が大ヒット作の「フレンチ・コネクション」を採り上げていたようですが、洋画探偵にとってのベスト(ウイリアム・フリードキンの真摯な映画製作態度を如実に示しているという意味で)は『真夜中のパーティ』です。
はい、原題は"Boys In The Band"でした。
    
 
男だけの一夜のパーティー。
嫉妬、愛憎、悲しみが絡み合う同性愛の世界
【ストーリー】
失業保険で贅沢に暮らすマイケル(ケネス・ネルソン)は、ゲイ仲間のハロルド(レナード・フレイ)の誕生日を祝う準備を進めていた。
マイケルが恋人ドナルド(フレデリック・コムズ)の悩みを聞いてると、大学時代の友人アラン(ピーター・ホワイト)から電話があり、今すぐに会いたいと泣き出してしまう。弁護士のアランは、ゲイに偏見を持っているため、マイケルは明日の昼食をを約束する。
やがて、インテリアの仕事をしているエモリー(クリフ・ゴーマン)、書店で働くアフリカ系のバーナード(ルーベン・グリーン)、ファッション・フォトグラファーのラリー(キース・プレンティスと彼の恋人で数学教師のハンク(ローレンス・ラッキンビル)がやってきた。
主役のハロルド不在のまま盛り上がっていると、呼び鈴がなり、アランがやってくる。仕方なく招き入れたマイケルだったが、パーティーは微妙な空気に包まれていく。やがて、ハロルドもやって来たが突然の雷雨により、パーティーはテラスから部屋へと場を移すこととなった。
出て行こうとするアランを引き止めたマイケルは、心から愛した人に電話をかけるゲームをしよう、と提案する。誰もが受話器を取ろうとしなかったが、バーナードが初恋の思い出を語った後、その相手に電話しようと手を伸ばす・・・
オフ・ブロードウェイで大ヒットした舞台を原作者のマート・クロウリーが製作、脚本を担当。ウィリアム・フリードキンが、緊密な演出でサスペンスを生み出しながら、ゲイたちの複雑な内面を浮き彫りにしていく。

こんなに面白く、これほど感動的なドラマがかつてあっただろうか? 今野雄二

Wikipedia: ウイリアム・フリードキン
来歴
イリノイ州シカゴ出身。両親はウクライナからのユダヤ人移民。フリードキンの祖父や祖母、両親、親類はみな帝政ロシア下で起こった1903年のポグロムから逃れてきた人たちであった
地元のセン高校に入学。高校時代は花形バスケット選手だったが、父親の死で大学進学をあきらめ、1955年、地元のテレビ局にメッセンジャーボーイとして入り、その後は数々の番組でアシスタントディレクターを務める。
1960年代に入りドキュメンタリーの監督などをして注目され、1965年にハリウッドに移る。1967年、『ソニーとシェールのグッド・タイムス』(日本ではビデオのみ公開)で劇場映画の監督としてデビュー。
1970年、オフ・ブロードウェイのヒット舞台劇を映画化した『真夜中のパーティー』を監督。
1971年の『フレンチ・コネクション』は興行的、批評的に成功を収め、その年のアカデミー賞では作品賞を含む5部門に輝き、自身も監督賞を受賞。今日ではアメリカン・ニューシネマの傑作とされている。1973年の『エクソシスト』でも興行的成功と高い評価を獲得し、再びアカデミー賞にもノミネートされる。
しかし、多額の制作費をかけた1977年の次作『恐怖の報酬』(1953年の同名フランス映画のリメイク版)は興行・批評とも失敗に終った(しかし、現在では再評価されている)。その後も『クルージング』や『L.A.大捜査線/狼たちの街』『英雄の条件』『キラー・スナイパー』など物議を醸す作品を発表している。
2000年代からは、オペラの演出も手掛けていた。
2023年8月7日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスの自邸に於いて、肺炎と心不全の併発症により死去。87歳没。
☆2012年、ロカルノ映画祭での対話会


ok.ru: The Boys In The Band