年末はパラダイスへようこそ 川島雄三の『洲崎パラダイスー赤信号』
タイトルからして粋ですね。
赤信号 辿って行けば パラダイス
前回、吉原を巡る樋口一葉の名作をご紹介しましたが、旧吉原にほど近いものの戦後の新興歓楽街は江東区洲崎にありました。

一葉の『にごりえ』とほぼ同じ「客引き文句」がタイトルバックで聴こえた後の冒頭シーンは秋葉原駅前、万世橋付近です。ほぼ全編当時の界隈が実写で撮影されています。
ロケ地
【東京都】江東区(洲崎特飲街、木場附近、洲崎遊郭の橋、洲崎橋、沢海橋、洲崎神社境内、弁天橋、掘割の船着場、秋木橋)/中央区(勝鬨橋)/千代田区(神田附近)/墨田区(吾妻橋)
名作映画の舞台探訪 洲崎パラダイス赤信号
探偵の拘りは2つほどあります。1つは「東京弁」(弁当ではありません!)。本籍が神田にあるとはいえ、探偵が幼時を過ごしたのは横浜の下町で少年期から成人までは山形の町。従って探偵に「母語」といえるものはありません。「標準語のお手本」とされるNHKでも、今では「東京アクセント」(注)で話せるアナウンサーはいないようです。
横浜生まれとはいえ、探偵の家は元々東京人。亡き父や(父方の)叔父・叔母などの東京アクセントは耳の奥に残っています。
注:東京弁は平板なNHK語と違い、イントネーションが豊かで実に「粋」なものです。地方からの人に「冷ややかでお高い」ように感じられる言葉使いの裏に深い人情がある...
この「美しい東京弁」で台詞が言えた女優さんとして記憶に残るのは沢村貞子。東映映画『飢餓海峡』で青森の田舎から出てきた杉戸八重(左幸子)に応対する朝日舘の女が沢村貞子だった。
Wikipedia:沢村貞子
生い立ち
1908年(明治41年)11月11日、東京府東京市浅草区猿若町(現・東京都台東区浅草)に、父・加藤伝九郎と母・マツの2男2女の二女として生まれる。父の伝九郎は竹芝傳蔵の名で活躍した狂言作者で、兄の友一は四代目澤村國太郎、弟の徳之助は加東大介の芸名で、ともに映画俳優となった。数え年で6歳の時から長唄と踊りを習い始める。
1915年(大正4年)、浅草尋常小学校に入学。この頃に弟の徳之助(加東大介)が7代目澤村宗十郎に入門して初舞台を踏んでおり、貞子は小学2年生の頃から弟の付き人として宮戸座へ通う。1921年(大正10年)4月に府立第一高等女学校(現在の東京都立白鷗高等学校)に入学。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災後は、学費を得るために初代澤村宗之助の4人の子供(文恵、恵之助、雄之助、敞之助の家庭教師を務める。1926年(大正15年)、女学校の教師を志望して日本女子大学校師範家政学部へ入るが、教師間の裏の世界を見て失望し、役者を志すようになる。
反骨の人として知られ、憲兵の前で啖呵を切った逸話が残っている。
探偵の伯母たちもこぞって所謂「粋筋」の女達で、父の小学時代の親友は遊郭経営者の息子だった。
ok.ru: Suzaki Paradise Akashingō 1958 [Yuzo Kawashima]
赤信号 辿って行けば パラダイス
前回、吉原を巡る樋口一葉の名作をご紹介しましたが、旧吉原にほど近いものの戦後の新興歓楽街は江東区洲崎にありました。

一葉の『にごりえ』とほぼ同じ「客引き文句」がタイトルバックで聴こえた後の冒頭シーンは秋葉原駅前、万世橋付近です。ほぼ全編当時の界隈が実写で撮影されています。
ロケ地
【東京都】江東区(洲崎特飲街、木場附近、洲崎遊郭の橋、洲崎橋、沢海橋、洲崎神社境内、弁天橋、掘割の船着場、秋木橋)/中央区(勝鬨橋)/千代田区(神田附近)/墨田区(吾妻橋)
名作映画の舞台探訪 洲崎パラダイス赤信号
探偵の拘りは2つほどあります。1つは「東京弁」(弁当ではありません!)。本籍が神田にあるとはいえ、探偵が幼時を過ごしたのは横浜の下町で少年期から成人までは山形の町。従って探偵に「母語」といえるものはありません。「標準語のお手本」とされるNHKでも、今では「東京アクセント」(注)で話せるアナウンサーはいないようです。
横浜生まれとはいえ、探偵の家は元々東京人。亡き父や(父方の)叔父・叔母などの東京アクセントは耳の奥に残っています。
注:東京弁は平板なNHK語と違い、イントネーションが豊かで実に「粋」なものです。地方からの人に「冷ややかでお高い」ように感じられる言葉使いの裏に深い人情がある...
この「美しい東京弁」で台詞が言えた女優さんとして記憶に残るのは沢村貞子。東映映画『飢餓海峡』で青森の田舎から出てきた杉戸八重(左幸子)に応対する朝日舘の女が沢村貞子だった。
Wikipedia:沢村貞子
生い立ち
1908年(明治41年)11月11日、東京府東京市浅草区猿若町(現・東京都台東区浅草)に、父・加藤伝九郎と母・マツの2男2女の二女として生まれる。父の伝九郎は竹芝傳蔵の名で活躍した狂言作者で、兄の友一は四代目澤村國太郎、弟の徳之助は加東大介の芸名で、ともに映画俳優となった。数え年で6歳の時から長唄と踊りを習い始める。
1915年(大正4年)、浅草尋常小学校に入学。この頃に弟の徳之助(加東大介)が7代目澤村宗十郎に入門して初舞台を踏んでおり、貞子は小学2年生の頃から弟の付き人として宮戸座へ通う。1921年(大正10年)4月に府立第一高等女学校(現在の東京都立白鷗高等学校)に入学。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災後は、学費を得るために初代澤村宗之助の4人の子供(文恵、恵之助、雄之助、敞之助の家庭教師を務める。1926年(大正15年)、女学校の教師を志望して日本女子大学校師範家政学部へ入るが、教師間の裏の世界を見て失望し、役者を志すようになる。
反骨の人として知られ、憲兵の前で啖呵を切った逸話が残っている。
探偵の伯母たちもこぞって所謂「粋筋」の女達で、父の小学時代の親友は遊郭経営者の息子だった。
ok.ru: Suzaki Paradise Akashingō 1958 [Yuzo Kawashima]