レイモン・ラディゲ作 『肉体の悪魔』 | 映画探偵室

レイモン・ラディゲ作 『肉体の悪魔』

イタリア語版 レイモン・ラディゲ原作 『肉体の悪魔』
早熟の、そして夭折した天才として名高いレイモン・ラディゲに関してはこちらを。
レイモン・ラディゲ

本年度のリバイバル公開で大ヒットを記録したG・フィリップ主演作を、初ビデオ化。第1次大戦末期のパリを舞台に、高校生と人妻との悲恋を描くラブロマンス。


監督: クロード・オータン・ララ
原作: レイモン・ラディゲ
脚本: ピエール・ポスト/ジャン・オーランシュ
出演: ミシェリール・ブレール/ジェラール・フィリップ/ドニーズ・グレイ/ジャン・デブコール


レビュー仏語版


5.0次は女が死ぬ番だ
投稿者かなり悪いオヤジ2007年10月16日
高校生と人妻のズブズブの不倫ドラマではあるが、この2人の恋愛が反戦メッセージとして描かれているところに、この映画の存在意義がある。しかしなぜ、この親と子ほどの年の差がある2人が、夫が戦争で留守の間にいとも簡単に恋に落ちたのだろう。親が決めた相手との結婚を選ぶマルトは、姿形は成熟した女であるが、精神的には自立しきれていない未熟な女性。ある意味、父親に対して従順な態度をみせるフランシスと精神年齢は変わらない。『あるスキャンダルの覚書』で感じた年の差カップルに対する違和感をこの映画では感じなかったは、そのせいかもしれない。

映画は冒頭、休戦協定締結に沸き返る街の様子を映し出すが、対照的にフランシスは沈痛な面持ちに足取りも重い。休戦はすなわちマルトの夫の帰郷を意味し、それは2人の不倫関係の終焉とイコールなのだ。だからフランシスとマルトの年の差カップルは、「いつまでも戦争が続いてほしい」という不謹慎な想いを抱いていたはず。その疚しさがフランシスをして子供のような態度をとらせる。逆に、フランシスの子を身ごもったマルトは、大人の女として精神的に成長していく。そんな時マルトの口から「私を抱く時は大人のくせに」という愚痴がこぼれるのだ。いつまでも子供な男と精神的に成長した女の間に「今に何かが起こる」のは必然だったと言える。

裏
「女に冷たくされると追いたくなるのに、愛されてると分ると簡単に別れられる」「次は女が死ぬ番だ」などの毒を含んだ名言(?)の数々、そして暖炉の炎や手紙、汽船や列車の汽笛にまで余韻が残る細かい演出が施された本作品は、60年たった今でもミシュラン3つ星クラスの風格をたたえた名作である。

恋は落ちて溺れるもの
投稿者響子殿堂入りVINEメンバー2011年12月5日
 17歳の美少年と年上の人妻の、甘く切なく激しい恋愛を描いた有名なフランス映画。
原作は20歳で世を去り、天才と呼ばれたラディゲの小説「Le Diable au corps 」で、この小説は三島が絶賛したとのこと。

第一次大戦中、学生のフランソワ(G・フィリップ)は、「年上の女(ひと)」マルト(M・プレール)に恋をする。
 兵士の婚約者がいるマルトに、一途な想いをぶつけるフランソワ。
G・フィリップは当時25歳、10代の若者の様に高い声色と機敏な動きと可愛い仕草で演じているが、全編を通して主役二人の年齢差があまりないように感じられた点が残念。
 劇中のフランソワは、マルトに対して強引かつ大胆にぶつかっていく、こんな風に恋を打ち明けられたら、大抵の女性は落ちてしまう気がした。
フランソワの若さゆえの大胆で衝動的な行動を、同性の視点で優しく見守る父親の描き方が現実的。
 劇中ドキッとするようないくつもの名台詞がある。
フランソワの早熟な愛の言葉、父親の台詞「女に冷たくされると〜」、マルトがつぶやく「私を抱くときは大人なのに」の言葉は、恋愛の核心を突いていて心の琴線に触れ、原作も読みたくなった。ラディゲ

右は単行本の表紙、ラディゲの肖像写真である。

 桟橋でフランソワを待ちわびるマルトを照らす川面の光の揺らめきが、モノクロ映画ならではの光と影の美しいシーン。
マルトの家のベッドを見て、マルトの夫への嫉妬にかられるフランソワが切なくて愛おしい。
二人が一夜を共にした後、フランソワの声のトーンが低くなって、話し方や表情に変化が訪れる。
 肉体面で大人になってからのフランソワ、G・フィリップがもつ色香にゾクッとした。
カメラ・ワークで秀逸に思ったのは、寝室でフランソワがベッドを見つめるカットから、マルトが開けたタンスの扉の鏡にフランソワが映りこむシーンなど。
終戦の喜びに沸きたつ人々とは対照的に、悲しみに沈むフランソワとマルトの姿は、あまりにも痛かった。

肉体の悪魔
https://youtu.be/FxfyvSOFhSw