手に入るもの,入らないもの
怠惰な本ブログに正月早々読者が増えたのを機会に,久しぶりの登場です。
かつて自分が傾倒した,溺れたあるいは愛した映画や音楽の話を始めると,時の流れをつくづくと感じるとともに,それらは本当の意味ではもう取り戻せないのだ,という感慨にとらわれてしまうのです。
シムノンの「汽車を見送る男」が時代の概観を示す重要な小説であることを日本に(あるいはその時代の青年,つまり「私」に)知らしめたのは今は亡き「高橋和巳」でした。「孤立無援の思想」というエッセーの中で彼はキースポピンガを「無明の人」と呼んでいます。この「無明」は通常は「無名」という用語でフランス語でも「sans importance」と言い,文字通り世間から見れば「取るに足りない,用の無い人」ということになります。(このブログの特徴は「以後,話が飛び飛びになること」としますが),この「sans importance」はやはりかつての名画「ヘッドライト」の原題である「Des Gens Sans Importance](無名の人々)に通じ,この主人公の長距離トラック運転手を演じたのがジャンギャバンで,彼がおそらくメグレ警視を映画で演じた最初の俳優であるとともに,この監督のジャンピエールメルヴィルはシムノンの親友でした。
また,「汽車を見送る男」というタイトルにも表れているようにここにはその後のシムノンの,つまり「メグレ警視」シリーズにおける特徴が殆ど出ています。汽車(列車)への憧れ,多国籍(マルチリンガル)人間,ある種の独特の魅力を持つ女性,性的な偏執とも取れる主人公の逸脱した行動,カヌー,パイプ,そしてほんの一握りの「important」な人々,つまりエスタブリッシュメントに対する限りない軽蔑と憎しみ。(際限なく続く)