夫のことが嫌いです、田舎暮らしが苦痛です。 -5ページ目

夫のことが嫌いです、田舎暮らしが苦痛です。

夫の地元で、収入以外のここでの暮らしの全てを担う、もはやシングルマザー状態のアラフォー女です。

「タンブラーどこにある?」

夜8時いつも通り帰宅後、食事を始めようとした夫が
和室で仕事をするわたしと一緒に宿題をする兄さんに

声をかけました。

宿題を中断しキッチンでタンブラーを「はい。」と

手渡した兄さんから、無言で受け取る夫。

 

「ありがとう」の声は聞こえませんでした。

夫は、探すより聞いたほうが早いから、という理由で

自分でモノを探すことはしない、と公言してるのですが

 

だっらたせめて、ありがとうくらい言えよ、と思うのです。

以前「ありがとう、とか言わないの?」と聞いたら
「ありがとうと言われたいからやってるならやらなければいいんじゃない?」
と逆に質問されたので、それからわたしは返事以外することをやめています。

いただきます、ごちそうさま、がないのも日常の光景です。

夫の姉の配偶者の、お通夜からお葬式は、本当にいいものでした。

いい、という表現がここに適しているかは分らないけれど
ずっと、たくさんのひとに囲まれ笑って泣いてまた笑って

故人の生前の人柄とか、故人の配偶者である夫の姉の人格とか
地元から離れたそこで築いた地位みたいなものまで窺い知れるというか

素敵なひとたちなのだと、夜が更けるほどに沁みていって
なんだかひどく羨ましいと思っていました。

羨ましいという表現もまた間違っているかもしれないけれど
支え支えられ、思いやりと愛で溢れた「身内」が更に確固たるものになって

こどもたちも、夫もきっとすごく居心地の良いものだったのでしょう。

あの日から、あかんと考え続けているわたしと相反して
夫は、歩み寄ろうとしているようです。

以前みたいにまた家族みんなでやっていけばいい、と。

疑問に思うのは、夫が自身の何かを変えたり担ったりすることは

しようとせずも、またこれまでのようにわたしが全部を当たり前に

請け負ってくれよ、わたしさえ戻ればいいんだよ、という雰囲気でくることです。

気持ちが悪い。もう夫には愚痴さえいう気がしないのに
それをきちんと伝えているのに、イイモノ見ちゃったからか

すごく怖いです。
寝しなに誘われたらどうしよう。
怖いし気持ちが悪い。今夜も早めに息をひそめ寝たふりです。

仲良くしているママのご主人に、ふいに

「ちゃん」付けで呼ばれ

 

うきうきと、浮足立ってしまった自分は

暖かさとか近しさとか、男性の存在に
飢えているのだと思いました。

 

落とした紙を拾おうと屈んだ瞬間にギクリ、としたのだと
ひとりのんびりビールを飲みながら、兄さんに話したのだそうです。
(合わないわたしは聞いていません)

夫、ぎっくり腰。

 

大変だそうですねー。

肩凝り腰痛はあるけれど日々ストレッチをしてやり過ごす

わたしには分かりません、というか

正直、アホちゃう、と思いました。

だって、何度もギクリ、そのたび医者にかかり指導を受けたにも関わらず
意識することもない怠慢さが招いた、いつものいつものいつもの結果

何度目やねんな、と思っています。

どんな不調なわたしをも過去にオールスルーできた夫には、同情する気が
笑えるくらい微塵も湧いて来ず、仕事を早く引き上げ、マッサージに温泉
自分のために割ける時間が十分にあるなんて優雅だな、とさえ思っています。

そして、ムスメがまだ生まれたばかりの頃を思い出しました。

たまにはお風呂ぐらいこどもと入ってもらえたら、と期待した日
2800グラムちょっとのムスメを、中腰で抱き上げようとした夫、ギクリ

・・・。

育児の手助けどころか、絶好のタイミングでお荷物になりよったか

期待するとバカを見ることを徐々に学んでいきました。
期待しなければストレスが減ることに気が付きました。

相手のピンチ(今回はぎっくり腰)という状況の
これを面倒くさいとだけしか感じていない自分を知りました。

もうあかんポイントが、またひとつ増えたと思いました。

 

タイトルから見に来てくださった方ごめんなさい。
先に謝ります、思わせぶり過ぎました、ごめんなさい。

抱いてくれたら、いいのに♪の曲で

死んでくれたら、いいのに♪と歌う癖があります・・

ただ、それだけです。

 

先日、夫の姉の配偶者のお葬式に出向いてきました。

1200キロ以上の距離、しかも僻地から僻地への移動は
間に飛行機をつかっても7時間のもの+子連れ+アウェイに3泊

ひとが亡くなっているので、これをどうこう言いたいわけではないのですが
(いや、言いたいのです、ごめんなさい) くたくたでした。

血の繋がりもなく雑用係のわたしは会場には居なくてもよい立場の人間。
実際、親族席にわたしの席はなく、読経の際だけ申し訳程度にぽつんと
こどもたちとも離れた末席に座り。

それでもそのまま、お坊さんのお話を聞く機会がありました。

看取りの縁

お寺で行われる神前結婚式の中で、新郎新婦に説くのだそうです。
夫婦になったということは、看取りの縁を結んだということ。

ああ、あかん、こんなん(よいお葬式でした)できへん。
看取りたくないし看取ってもらいたくない。

即座に、そうはっきりと思った自分を知ってしまって
これは本当にあかんなと、深刻度がい一気に倍増しました。

利用できる分、利用して、寄生して、ずるく生きたい

いろんなことを諦めてただお金の繋がりだけ、そうして
我慢してうまくやっていこうとしたときの代償は、看取り看取られ

神と対峙してるみたいな、こんな場面が自分に訪れたとき
自分の気持ちは欺けないと心の底から感じて天を仰ぎました。

とすると、離婚か。
いつ?どのタイミング?

お葬式なのに人でなしです。
でも、自分の親族の中で生き生きと動き回る夫に抱いた
嫌悪感と不信感は

もう拭いようがないように思えました。
ああ、わたしもうあかんな、とずっと考えています。

 

仕事場のカレンダーに、泊まり出張の予定が書かれていたので
今夜は帰ってこないのだ!とひとりお祭り気分だったのに

今朝なぜか泊まりの支度をして行かなかった夫。
ということは、今夜も帰ってくるのか・・

残念です。息が詰まります。

まだまだこどもたちがずっと小さくて、手がかかっててんてこ舞いしていたころは
地元の旧友とやらに誘われるまま週2は、泊まる勢いで飲みに出かけていたのに

旧友たちに誘われることもなくなった昨今は、毎晩8時に帰宅する。

「何もしないならせめていないで欲しい。」と伝えたら
「何もできないから、だったら居ない。」的に決まった帰宅時間は
ムスメが眠り、兄さんの習い事お迎えが終わり、逆算しながら
わたしが家事をギリギリに終わらせられる夜8時

ぬくぬくと帰宅した夫は、そこから眠るまで優雅なフリータイムです。

用意された食事をひとりのんびり摂り、寝転がってテレビ三昧
こどもとすることといえば、小学生の兄さんとただそこに座って数分
テレビを見て内容のない番組の会話、スマホのゲーム

帰ってこなくていいのに。
帰ってこなければ、わたしもう少し時間をゆっくりすごせるのに。

といっても、顔を合わせたくなくて、同じ空気を吸いたくなくて
声も、気配も感じたくなくて、自室に引っ込むのはわたしです。

重症だなと思います。もうあかんなと思います。
嫌いすぎて死ねばいいのにと思っています。

でも、先に死なれて最後まで夫のいいとこどりになるのは許せないので
わたしが先に死ななあかんな、と思い直す毎日です。


 

我が家ののムスメの幼稚園では、もうじき春の小運動会が催されます。

子育ての一切を負担せず、もちろん行事の準備に関わることもせず
まるで招待された祖父母のような面持ちで、わたしの運転する車の
後部座席にいつも当然の顔で乗り込む夫が嫌でたまりません。

何も関わっていないのに
何のアシストもしていないのに

こどもの活躍の場面では、自分の手柄のように周囲の称賛を浴びる。

田舎ですから、夫の地元ですから
夫の親戚や同級生は、我が家のこどもの優れた部分を
平気で「夫の側の血」とかなんとか言ってくれちゃって
ホクホク上機嫌に反り返るほど胸を張る夫を見ることも嫌でたまりません。

こどもがへまをすれば、オレはああじゃなかった。
こどもが不機嫌になれば、そそくさと居なくなる。


おいしすぎる夫にイライラして、とんでもないストレスになって
だから昨年は「来ないでいただきたいのですが」と切り出し
とんでもないストレスの全貌と、何もしないのならむしろ居ないほうがラク
ということを一応オブラードに包んで話し、遠慮してもらったのに

今年は、行くつもりのようで、心底驚いてしまいました。

いやいやいやいや、そもそも
わたしたちはもう夫婦としても家族としても機能をなしていないし
別行動が基本、なのに。

「じゃあわたしは行かない。」と言ってしまいました。
別に父子で来ている家庭だってある、小運動会とは名ばかりのスポーツ交流会
夫がムスメを連れて参加すればいいことです。

でも夫は、ひとりでは行けない。
そういうところも含めて、全部が嫌でたまりません。


 

愛情は風化する、と言ったのは亜門でしたっけ。

結婚15年、折に触れしみじみ感じます。
ホント、気持ちってなくなるんですねー
あんなに好きだったのに、びっくりです。

今はもう、1秒でも早く死んでくれないか、と願いながら
けど、先に死なれたら夫だけ最後までオイシイ人生ってことだよな
と思い直し、自虐的な気分になることが正直しんどい。

 

毎日うんざりです。
そんな日々の毒を吐きたくて、この場を作ってしまいました。