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「日本人の誇り」について

今週末、私は自宅で藤原正彦さんの新書「日本人の誇り」を読みました。藤原正彦さんは「日本の誇り」を再建するために、自分の考えから二十世紀の日本対外戦争の歴史を分析して述べました。筆者の観点を賛成するかどうかは後で説明したい、先ず、この読む経験は珍しいと思います。
イタリアの歴史学家ベネデット・クローチェ(Bendetto Croce)は「歴史はすべて当代史です」と言いました。もっと言えば、歴史もすべて国别史です。この意味は、同じの歴史に関して、各国の利益の需要が違いますので、歴史の解読は全然同じくないです。さえ、同一な国に、違い時期の政府は違い歴史を解読し出します。ですから、私の大学の歴史教授は広い視野でたくさん読む事が重要だと言いました。
藤原正彦さんは日本社会に関して深く感情を持って、社会中の様々な問題の解決策の目標を向けて、日本の当代史を解読しました。先ず、今の日本社会について、藤原正彦さんはたくさん問題を探して整理しました。財政赤字、一人GDP低下、失業率高い、自殺者数多い、少子化、社会モラル低下等、いろいろ社会問題がありました。もっと深刻な事は、日本の若者達は祖国対して自信があまり持っていませんでした。藤原正彦さんは御茶の水女子大学の教授ですので、自分で課程の中に調査しました。結果はがっかりさせました、学生達は「恥ずかしい国」と言いました。他の調査の結果によると、日本若者は15%だけが自国のために戦いたいでしたが、韓国の結果は74%、中国は90%です。
以上の不安な結果に基づいて、藤原正彦さんは考え後で、自分の観点を提出しました。日本は第二次世界大戦に敗戦した後で、アメリカの「罪意識扶植計画」は元凶でした。「罪意識扶植計画」は戦争についての罪の意識を日本人に植えつける宣伝計画でした。藤原正彦さんの述べた事によると、アメリカはメディアで各種の宣伝をしました。さらに、政治とか教育とか文化とか、各方面の愚民政策もありました。アメリカの「罪意識扶植計画」せいで、藤原正彦さんは日本人としての誇りが失われたと言いました。それで、日本人は二十世紀の歴史を再認識する事が必要だと思いました。
これから、藤原正彦さんは自分で二十世紀に日本対外戦争の歴史を述べました。
対中戦争について、先ず、藤原正彦さんは南京大虐殺の不思議だと言い、「大虐殺」は歴史の事実ではなく政治的事実の観点だと提出しました。「南京大虐殺の真実が、アメリカの情報公開で明るみか、中国の一党独裁崩壊後に告白されるのではないかと考えています。」後で、日中戦争の「侵略」性質について、藤原正彦さんも疑問を提出しました。藤原正彦さんは考える「侵略」の定義は「自衛のためでなく、軍事力により他国の民族自決権を侵害する事」でした。この定義に基づいて、「満州事変」か「盧溝橋事変」か「上海事変」か、日本軍隊の攻撃の原因は全部で中国の挑発でした。藤原正彦さんは中国軍隊が襲いた日本平民の様々な事件を集めました、「日本が無数の挑発に耐えられなくなったのです。」ですから、日本は「自衛」のために開戦しなければならない、対中戦争は「侵略戦争」ではありませんでした。
日米戦争について、藤原正彦さんの分析によると、日米戦争と日中戦争の関係が緊密な関連でした。アメリカはアジアの利益のために、日中戦争の時期に、たくさん経済と軍事の援助が中国に輸送しました。一方、アメリカは日本対しての様々な制限をしました。それで、日本はアメリカに開戦しなければならない。「日本が、祖国の名誉と存亡をかけて、世界一の大国に対し敢然と立上かったことに、民族として潔さを感じ高揚したのです。」ですから、日米戦争も「自衛戦争」でした。
藤原正彦さんの考えによると、日本の二十世紀の戦争は大敗北ではなく、大殊勲だと思いました。日本の対外戦争は独立自尊の目的を持ち、日本軍隊はいつも自我犠牲、坚忍不拔、勇猛果敢等の精神を十二分に発揮しました。しかも、日本はアジアの先進国家にとして、ロシアとの「日露戦争」の例など、日本はアジア主義の旗手でした。「日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、殖民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つという、スペクタキュラーな偉業をなしとげたのです。」
最後に、「日本人の誇り」について、藤原正彦さんは一つの一番重要な点を総括しました、それは「和」でした。「日本人は聖徳太子以来、和を旨する国柄です。」「日本人は秩序とか和の精神を上位におくことです。」「自分のためより公のためにつくすことのほうが美しいと思っていました。」
私の考えは、藤原正彦さんは「日本人の誇り」についての論点が正しいですが、論拠の間違いところがありました。
藤原正彦さんは「日本人の誇り」の核心が「和」だと言い、これは勿論正しいと思いました。日本の領土面積が小さいし、資源が少ないし、一方、自然災害が多いです。日本人の生存環境は良くないですが、日本人は世界中の七大文明の一つを创造することができました、これは日本人の「団結」、「和」のためでした。日本の偉い「和」の精神に基づいて、日本は世界範囲内の尊敬を届きました。こんな精神は永久に日本と伴いて、二十世紀の戦争が敗北とか殊勲とか、それは重要ではありませんでした。各国の歴史の中に、光輝もあり、暗黒もありました。勇敢な正視して、暗黒なことを捨てて、光輝なことを向けて行きます。ドイツは二回の世界大戦のメーカーでしたが、歴史責任を勇敢な担当したので、今は隣国との関係が友好でした。ドイツの政治とか経済とか、順番な発展しています。
今、日本の社会には様々な問題があるかもしれませんが、東にポン大震災の間、日本人の秩序と勇敢が「和」の精神を発揮しました。「日本人の誇り」もあり、日本将来の経済や社会やどんどん復興だと思います。

「国家の品格」について


藤原正彦さんの思想ロジック
まず、藤原正彦さんの創作の出発点について探してみたいです。「日本人の誇り」と同様に、藤原正彦さんは日本の現状を心配しながら、日本の品格と日本人の誇りを再建するために、日本の長い歴史に基づいて、日本の特有な精神を集めて賞賛しました。
「国家の品格」は共に七章がありました。第一章と第二章は現代世界の各種の社会問題を述べ、犯罪や家庭崩壊や教育崩壊等の原因を探し、現代国家の論理は破綻があると言いました。第三章は自由や平等や民主主義等の論理を疑いました。民主主義の前提条件「成熟した国民」は永遠に存在しないと言いました。ですから、欧米国家の基礎は安定ではないと言いました。この通り、どんな国はもっと成熟な国家ですか。第四章の中に、「情緒」や「形」を重んじた日本型文明を提起して詳しく述べました。論理偏重の欧米型文明より、日本人はもっと「四つの愛」(家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛)を持ち、社会がもっと調和だと言いました。第五章は日本人の精神の中核「武士道」を述べました。情緒を育む「武士道」精神は、「慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠等が盛り込まれています。」第六章は日本の「情緒と形」の文明が世界へ普及するために六つの理由を提出しました。「情緒と形」の文明は世界中の一番大切な文明ですので、世界に通用する普遍性があると言いました。最後の第七章は日本人の誇りへ戻して「天才を生む国家」と「品格ある国家」を認定しました。「品格ある国家」の四つ指標を提出されました。一番目は国家の独立不羈です。二番目は高い道徳です。三番目は高い田園です。四番目は天才の辈出です。藤原正彦さんは日本がこの四つ指標の品格を持つ「異常な国」だと言いました。

265万部の販売数量の原因
 「国家の品格」や「祖国とは国語」や「日本人の誇り」や、作者の藤原正彦さんは「祖国愛」をいっぱい持ち、日本の歴史と精神と文化について、心を込めて述べて宣伝しました。最近、藤原正彦さんの名著おかげで、私も日本型文明を良く了解していると思います。藤原正彦さんは祖国の方々面々をはっきり熟知しました。情緒が溢れる文字を読んで、読者も感動されやすいと思います。特に日本の読者たちは「国家の品格」や「日本人の誇り」を読んで、自分たちの「祖国愛」もたくさん増えていると思います。近年、日本経済の発展のスピードが速くなかった、社会の問題が多かったです。そして、今年の日本東北部大地震も突然起こり、日本は巨大な損失をされました。経済の発展や社会の革新や自然災害の勇敢な対応やのために、日本精神の再建が一番大切な事だと思います。ですから、藤原正彦さんの「国家の品格」が52回で印刷され、265万部を販売されました。本当に奇跡だと思います。
 しかし、藤原正彦さんは祖国の強大と国民の幸福を努力な追求していましたが、私は藤原正彦さんの一部分の思想が正しくなく、以下にちょっと討論したいと思います。

エリート主義を疑う:国民は永遠に成熟しないか
 藤原正彦さんの観点によると、欧米国家の自由や平等や民主主義等は全部フィクションです。「成熟した判断が出来る国民という民主主義の暗黙の前提は永遠に成り立たない」と言いました。この結論のロジックは、国民の判断材料がほぼマスコミだけですが、マスコミの材料は充足ではないです、従って、国民は永遠に成熟しなく、マスコミが第一権力です。ですから、藤原正彦さんはエリートのリーダーが必要だと言い、エリート主義者だとなりました。
 藤原正彦さんのロジックは欠陥があります。
先ず、自由と平等の民主主義国家の中に、マスコミは独立の第三権力だと言われました。マスコミは政府のマスコミではなく、マスコミも国民のマスコミではなく、マスコミは社会の真実に基づいて、国家のすべて活動を監督して、放送しています。国民全体のメーセッジの知る権利を守る事がマスコミの存在の目標です。国民と「エリート」は同じなメーセッジを了解すれば、同様な判断力が持って事が出来ると思います。
第二点、「エリート」の標準はなんですか?藤原正彦さんは二つ条件が必要だと言いました。一つ、教養として、圧倒的な大局観や総合判断力を持っている事です。二つ、国家、国民のために喜んで命を捨てる気概がある事です。エリートの標準を読みながら、ナチスドイツのヒトラーの顔を思い出しました。ヒトラーとナチスの軍人たちは自分がエリートだ、ユダヤ人が劣等な人種だと思いましたので、ユダヤ人を虐殺する事は正当だと思いました。ですから、エリート主義は本当に危ない思想だと思います。
勿論、マスコミは時々政府から影響され、不完全と不公正なレポートがありました。勿論、国民は時々認識の限りがあるせいで、判断な間違い事がありました。しかし、人々の自由と平等は自分の基本権利だ、それは人類の存在の意義だと思います。民主主義の制度を完備し、国民の教育される程度が高くなるし、マスコミの独立性が保障されるし、国民の成熟した判断が出来ると思います。

日本の「情緒」と「形」を疑う:
弱者への同情ですか、強者への敬服ですか
 藤原正彦さんは「情緒」や「形」を重んじた日本型文明が惻隠の情緒を持って、「敗者への共感」、「劣者への同情」、「弱者への愛情」を持つと言いました。それに反して、論理偏重の欧米型文明はこんな「情緒」が少ないと言いました。
 この観点について、私もちょっと相談したいと思います。欧米国家の国民は子供の時から「人権が大切だ」という教育をされ、人々は互いに愛する事が重要だと思います。私の友達は初めてアメリカへ留学に行き、ニューヨークの街頭で立って方向を探した時、たくさん通過したアメリカ人は主動的な聞いてヘルプの意思を提出しました。
日本人が勿論親切で優しく、日本のサビースは世界中に一番いいと言われます。しかし、「弱者への同情」という日本の若者は電車で老人に席を譲ることがあまりありません。そして、若者はいつも優先席を座って、恥ずかしい感じが全然見えません。
歴史によると、戦争を勝った時、「敗者への共感」という日本人は同情心が本当に持っていましたか?昔の武士時代に、勝った大名の手下の武士は敗者の町で三日の強奪が慣例でした。このひどい慣例が近代に遺伝して、第二世界大戦時代に大量虐殺も発生しまいました。
それに反して、私は日本人が強者への敬服だと思います。大和民族は敏感な臭覚を持ち、学習能力が世界中に一番素晴らしいと思います。昔に中国に対し、近代に欧米国家に対し、新制度の輸入と社会の革新はいつも適当で速かったです。強者を正視して敬服し、自分が学習して強者になり、これは大和民族のすごい創新精神だと思います。

电影《风声》:风声过后,期待更传奇

上映不到十天即刷出1.5亿人民币的票房成绩,时光、豆瓣、后窗看电影等几大热门社区均给出八以上的高评分,新近上映的电影《风声》票房、口碑双线飘红,有人甚至给出“风声过后,再无传奇”的超高度评价。个人以为《风声》确是近年国产电影的上乘之作,导演、演员、摄影、美术、服装、音乐,各个环节都体现出制作团队的尽心尽力。

导演:陈国富的名字比较陌生,因此观影后特地百度了一下,发现此人与李安等台湾名导合作多年,自己执导或监制的电影名作也有多部,遗憾的是我所览有限。就电影《风声》而言,我以为陈导至少是一个很会讲故事的导演,在影片故事推进节奏的把握上体现了相当的功力。众所周知,中国的影视人长于抒情而拙于讲故事,尤其讲不好悬念性强、戏剧冲突不断的故事,因此我一直固执地认为国产电影拍不出好的悬疑故事片,中国电影的土壤培植不出《碟中谍》系列这样的谍战经典。陈导的《风声》打着“我国首部谍战巨制”的旗号横空出世,于我着实是不小的惊喜。

演员:看《风声》中众演技派大腕飚戏是很过瘾的事情,我个人偏爱周迅和王志文。周迅娇小身躯可爱外表下蕴藏的无穷爆发力实在令人叹为观止,她在向李宁玉(李冰冰饰)表明身份后由笑转悲、泪流满面的表演让人印象深刻,斯时斯景不能不为之动容。王志文的演技已经到出神入化的境界了,影片中他给武田(黄晓明饰)点烟仆倒在桌面上的场景令人拍案叫绝。

摄影:《风声》无疑会使其美籍摄影指导Jack Pollock声名大震,片中周迅、李冰冰、英达、张涵予、苏有朋等几大主角集中亮相的长镜头精美绝伦,Jack Pollock的大师风范尽显。

综合起来,以十分制计,我愿意给《风声》打八分,以表达我对这部电影的认可,以及对其制作团队的敬意。接下来,我们来谈谈《风声》尚有的两分提升空间。

我以为,作为一部以谍战、悬念为卖点的电影,《风声》在故事戏剧冲突和悬念设置上并不足够,白小年、金生火、李宁玉等几位反派的嫌疑太容易被排除,观众可以轻易地猜到老鬼。我以为要增加悬念,编剧应该让几位反派做一些稍有力度的反击,至少是自保的挣扎,以此达到扰乱观众逻辑思路、增加推断难度的目的。麦家的原著小说《风声》似乎在讲述一个真实发生过的故事,出于对历史真相和当事人物的尊重,麦家不可能做过多的文学夸张,其中的戏剧张力不足可以理解;但电影《风声》的剧本却也没有在故事推进悬念上着力,反而丢弃了原著小说中的一些精华;更甚的是,电影编剧似乎犯了方向性的错误,将大量的影片篇幅用来展示各种酷刑手段。我大概清楚其用意:与李安的《色戒》一样,影片在政治导向正确的护佑下,堂而皇之地以情色、暴力吸引观众眼球。这种做法固然能够相当直接有效地换取票房,我仍然要毫不掩饰地表示鄙夷和抗议。

因此,从这个角度来看,《风声》还远没有达到“风声过后,再无传奇”的高度,中国电影人还需再接再厉。既不盲目吹捧,也不吹毛求疵。我会坚持花钱去影院看国产电影,坚持写一些影评,只为国产电影越来越好。