前回からの続きです。

 

人生初の本山博之プロの桧原湖ガイドを受けてからは、湖上で会うたびに挨拶するような間柄となり、

 

よく差し入れと言ってお菓子をイッパイ貰ったりしました。

 

時には、『○○さん(私の姓名)、コレ釣れるから試してみて!』と言って、ルアーを貸してくれたり、どのリグが釣れるとかメールで送ってくれたりもしました。

 

転機

 

そんな本山さんは、活動の場を桧原湖だけに限らず、シークレットガイドと称して下のアソ湖や某湖へのガイドを行うこととなった。

 

当時の私は、年々水質悪化する傾向や釣れなくなる桧原湖に嫌気がさしてきており、下のアソ湖に興味がとてもあった。

 

ちなみに某湖は、わずか数年で釣り禁止となってしまい、幻のガイドとなってしまった。

 

本山さんのアソ湖調査は2000年頃から開始しており、その内容な時々バスワールドの誌面でも紹介され、その記事を何度も読み返した。

 

衝撃的だったのは、2006年に本山さんと一緒にアソ湖で釣りをしていた、Kさんがロクマルのラージマウスを釣った事!

 

それ以来、アソ湖の事ばかりが気になって、当時本山さんが住んでいたトレーラーハウスを訪れたりして、イロイロな情報を聞き出した。

 

(注:今はロクマルはおろかラージマウスすら生息していません)

 

翌年の2007年、ついに私はアソ湖デビューを果たし、湖上で本山さんとよくお話したりもした。

 

しかし、当時私が乗っていたボートは14フィートアルミの『クイントレックスホーネット420』

 

アソ湖の荒波では揺れまくりで釣りをするには安定性が全く無いし、FRP艇に比べればアルミ艇は走破性で圧倒的に劣るし、何より身の危険を感じるようになり、FRP艇への乗換えを考えるようになった。

 

本山さんからも『アルミじゃダメだよ』と何度も言われ続けて、2007年の釣りシーズンを終了した。

 

そしてその年の年末頃に本山さんから画像付きのメールが送られてきた。

 

『これどう?』

 

1艇のFRPバスボート画像だった。

 

サイズは16フィートで牽引免許を持っていない私でもこれなら所有できそうだと思い、現物を見て購入。

 

トレーラーの車庫証明を取るための駐艇場所は、霞ヶ浦の本山さんの家の庭でお願いした。

 

ボート購入から駐艇場所まで、色々と世話してくれたのも本山さんだった。

 

ボートDIY指南

 

2008年から念願のFRPバスボートデビューを果たした私だが、色々とボートトラブルにも見舞われた。

 

まずアソ湖の荒波で、バッテリーを置いてあった場所のFRPに亀裂が入り、釣行の旅にその亀裂が広がりはじめていた。

 

本山さんに見てもらうと『カットして新しい板入れて補修しないとダメだよ』と言われた。

 

と言ってもどうやって補修するのか全く経験などないし、方法も分からない。

 

そこで本山さんにアドヴァイスをもらい、使用する板材は針葉樹合板がよいとか、FRPで新しい板固めたら穴を開けてウレタンフォームを充填すると船体強度が増すなど、ボートDIYに関することを色々教えてもらった。

 

時には、『ダメだよそれじゃー』などとキツイダメ出しをされたこともしばしばありました。

 

この時の経験は大変貴重なものとなり、今の私の愛艇レンジャーのレストアでもその経験が生かされることになりました。

 

またこの時は、やっかいな裏磐梯のアカアリにも悩まされた時期でした。

 

私のボートがアリの住処になってしまい、FRPやら板を食い荒らすという緊急事態が起こり、この対処方法を教えてくれたのも本山さんでした。

 

おかげでアリ退治をすることができ、二度と私のボートにアリが住み着くことはありませんでした。

 

渓流へ

 

アソ湖で会う機会の多かった本山さんだが、次第にその活動の場を渓流に移行するようになった。

 

そして何度も渓流へのお誘いを受けたりしましたが、違うコトに手を染めるとどっぷりハマってしまう性格の私は、何度もお断りをした(笑

 

そしてバス釣りから本山さんは次第に遠ざかっていくようになり、湖上で会うのは年に数回だった。

 

しかし、当時本山さんが住んでいた場所は、裏磐梯の剣が峰交差点。

 

自宅の前では何度も見かけることがあり、その都度色々とお話などもさせてもらったりし、渓流の楽しさや開発ルアー、開発ロッド・リールなどの秘話なども教えてもらったりした。

 

時には『もうバスはやらないんですか?』なんて質問したりしたこともあったが、本山さん的にはバス釣りという市場に嫌気がさしていたようだった。

 

開発したルアーは真似されるし、渓流よりもマーケットの狭さを感じていたようだったし、バスの市場の人達よりも渓流の市場の人達の方が好きだったような印象だった。

 

人物像

 

そんな本山さんだが、ロッドやリール、ルアーなど数多くのヒット商品を生み出した事は多くの人が知っていると思う。

 

今じゃ当たり前だが、ロッドのマイクロガイドを流行らせた人は本山さんだった。

 

開発能力に非常に長けており、何時も先を見ている先見の目は凄いと思った。

 

ただ、人の意見に耳を傾けてくれないのにはいつも困っていた(汗

 

そして基本的に自己中心的な人だった(笑

 

私があーじゃないですかとか、こーじゃないですかと言っても、『イヤ、それは違う!』とか『それはダメだ!』とか

 

いつもダメ出し攻撃(笑

 

そして何時も疲れていた。

 

『何時間しか寝てない!』とか『先週はドコ行って、何日までドコドコで釣りして、また今度はドコへ行って・・・』とか

 

いつもバカじゃないのと思うほどの超過密スケジュールだった。

 

医療機関で働く私にとって、その仕事ぶりは明らかにオーバーワークだと思い、早死にするんでは無いかといつも心配だった(本当に亡くなってしまったが・・・)

 

『もっとご自愛ください』とか『働きすぎです!』、『休んでください!』と口をすっぱくして言っても、全く聞く耳をもってくれなかった。

 

『休暇をとってきたよ~』なんてメールが来たりしたことがあっても、中身を見てみれば山登り(爆

 

『ちがう!俺が言っているのは身体的に休むことだ!』と何度も思っていたが、そんなところが本山さんらしくもあった。

 

基本的にじっとしている事ができない人だったのでしょう(笑

 

常に泳いでいないと死んでしまう魚のようだった。

 

それが本山博之という人物だった。

 

最後に

 

2002年の桧原湖ガイドをきっかけに親しくなった本山さん。

 

何時も色んな話をしてくれましたね。

 

平日なのに『明日一緒にアソ湖で釣りしない?』とか?私はサラリーマンなので平日休みできないのに空気の読めない本山さん

 

そして電話は何時も突然だった。『なぜ今その話?』と心の奥底で思っていたのは内緒でした(笑

 

渓流にもしつこい程誘われました(笑

 

某ダムでゴーマルラージマウスバスのウハウハ話

 

某社に逃げられた話

 

某事件に巻き込まれてマスコミから逃げ回っていた話

 

桧原湖ガイドでTOP50プロ達に湖上で囲まれたしまった話

 

初孫が出来たときは喜びイッパイだった話

 

グラスストリーム(古い小型FRPバスボートの話)最強伝説は何度聞かされたっけ?

 

私がレンジャーに乗り換えたときは、レンジャー談義にお花が咲いちゃいましたね。

 

悲しい話も幾つかありました。

 

SNS上では公開することの出来ないヤヴァイ話もイッパイありましたね(笑

 

そして何時も人を助ける運命にあった本山さん

 

遠征やら行った先々でトラブルに見舞われた人に遭遇し、救助する事になってしまうのは、もう運命だとしか思えないほど数多かった。

 

私も実際に、2015年に強風のアソ湖の翁島でエンジン始動不能になって漂流しているところを救助されたこともありました(汗

 

ダメ出しされる事がイッパイだったけど、それも本山さんの優しさだと思っていました。

 

なのに・・・

 

何で突然亡くなってしまったの?

 

亡くなる前日のバサーオールスタークラシック初日の帰りに、常磐道守谷SAで挙げた俺の下らないフェイスブックにコメントくれたばかりだったのに。

 

いつも早死にしそうな仕事ぶりだったから、アレほど休めと言ったのに、ど~して俺の言うこと聞いてくれなかったんですか?

 

もっとスモールマウスの事、アソ湖の事、バスボートの事、色々聞きたいことがまだまだイッパイあったのに・・・

 

まだ信じられません・・・