大学の時の宿舎の話
Facebookで、自分の通っていた大学の宿舎の話題が出ていたので、懐かしくなったのであえてのBLOGで書いてみようと思います。
自分の通っていた筑波大学の学生宿舎。
入学当時、初めてその部屋を見たときは本当に、
ここ刑務所か。。
北◯鮮の国営アパートとかの方が全然マシなんじゃないか。。
と思ったほど、まーーじで貧乏の極みを超えてくる罰ゲーム的宿舎でした。
その部屋がこれ↓

うちの母ちゃんは、自分の息子をこんなとこに置いていくのかと不憫に思って泣いたとか泣かないとか。
なんせ、家賃たしか7000円?くらいだったような。ガス代水道代タダ(ていうか部屋にガス器具がないんだけど)電気代も3ヶ月で2000円ちょいだったような?
部屋にはトイレとかキッチンとかはなく、もちろん洗濯機を置くスペースもなく、あるのは写真に移っている、鉄製のベッドと洗面台、後は絶対に使われることのないデスクに、後に完全に外に放り出されることになるチェアーのみ。
共用の便所

共用のキッチン

共用のキッチン汚すぎて使えなかったので、学生は大体一家に一台カセットコンロを自分の部屋に持っている。
後は他の部屋に内線ができる電話がついていて、友達と「一緒に飯食おうぜー」とか「風呂行こうぜー」とかの連絡にかなり活躍していた覚えがある。
ちなみにエアコンなんて最新のものはもちろんついてないよw。
察しの通り風呂もなく共同で、共用棟とよばれる所にあったのだが、22時?には閉まってしまうので、風呂の時間に全てのスケジュールがしばられるのであった。
家賃7000円安いし、まあ、住めればいいでしょーー
みたく甘く思っていたら大間違い。
住んで1週間くらいで耐えられず、一度実家に逃げ帰ったのを覚えているw。
そう、忘れもしない4/10だった。
ホームシックになった訳じゃない。
単純に、部屋がつらすぎたのだw。
それでも、友達ができる中で同じ宿舎同士行き来をしたり、だんだんと環境適応する中で、この宿舎にも慣れ、通常1年のところ2年間この宿舎で過ごした。
大学初の彼女もこの部屋でできたな~w。
寮ではないので管理人さんはおらず、門限とかも関係ない。出入りも自由で、女子棟ですらもそういうのないので、今思えば結構それって危なかったんじゃないかと思うw。
そういう出入り自由なところは、男女関係なく沢山の交友が生まれるっていう点ではよかったことだったな。
3年になって宿舎を出る時は、写真のような入舎時と同じ状態になった部屋を見てものすごく寂しくなったもんな~。
自分の一人暮らしのスタートがここであったことは、今となってはよかったなーって思う。
これは上京してから、あるスクールの先生に言われた言葉なんだけど、
「最初から便利だったり、きれいだったり、近かったり、裕福だったりな生活に慣れると、自分が転落していった時に大変な思いをするから、つらい思いは買ってでも経験しておいた方がいい。」
大学生の時の自分の生活は正にこの言葉を物語る生活だったw。
27000のアパートに住んでいたときもあった。(この、俺の人生史上伝説に残るであろうアパートの話はまた機会があればw)
こういう経験が、自分の中のハングリー精神につながって、
ある程度自分で生活できるようになった今も、どこかにちゃんと根付いている気がする。
なんでも、最初からあったら、それがあることにさえ気づかず、ありがたみも感じないだろう。
なんでも、あれば幸せってわけじゃないし、
ない幸せ
ないからそれを追い求める幸せってあると思う。
逆に自分はそういう幸せが好きなんだろうなって思うし。
学生の中には、ここでの生活を毛嫌いしてぜったい宿舎にははいらないとか、入ってもすぐ宿舎を出て行ってしまう人もいたけど、
俺にとってはこの汚い宿舎での2年間は、大学での授業以上に、大切なことを教えてくれた2年間でしたw。
自分の通っていた筑波大学の学生宿舎。
入学当時、初めてその部屋を見たときは本当に、
ここ刑務所か。。
北◯鮮の国営アパートとかの方が全然マシなんじゃないか。。
と思ったほど、まーーじで貧乏の極みを超えてくる罰ゲーム的宿舎でした。
その部屋がこれ↓

うちの母ちゃんは、自分の息子をこんなとこに置いていくのかと不憫に思って泣いたとか泣かないとか。
なんせ、家賃たしか7000円?くらいだったような。ガス代水道代タダ(ていうか部屋にガス器具がないんだけど)電気代も3ヶ月で2000円ちょいだったような?
部屋にはトイレとかキッチンとかはなく、もちろん洗濯機を置くスペースもなく、あるのは写真に移っている、鉄製のベッドと洗面台、後は絶対に使われることのないデスクに、後に完全に外に放り出されることになるチェアーのみ。
共用の便所

共用のキッチン

共用のキッチン汚すぎて使えなかったので、学生は大体一家に一台カセットコンロを自分の部屋に持っている。
後は他の部屋に内線ができる電話がついていて、友達と「一緒に飯食おうぜー」とか「風呂行こうぜー」とかの連絡にかなり活躍していた覚えがある。
ちなみにエアコンなんて最新のものはもちろんついてないよw。
察しの通り風呂もなく共同で、共用棟とよばれる所にあったのだが、22時?には閉まってしまうので、風呂の時間に全てのスケジュールがしばられるのであった。
家賃7000円安いし、まあ、住めればいいでしょーー
みたく甘く思っていたら大間違い。
住んで1週間くらいで耐えられず、一度実家に逃げ帰ったのを覚えているw。
そう、忘れもしない4/10だった。
ホームシックになった訳じゃない。
単純に、部屋がつらすぎたのだw。
それでも、友達ができる中で同じ宿舎同士行き来をしたり、だんだんと環境適応する中で、この宿舎にも慣れ、通常1年のところ2年間この宿舎で過ごした。
大学初の彼女もこの部屋でできたな~w。
寮ではないので管理人さんはおらず、門限とかも関係ない。出入りも自由で、女子棟ですらもそういうのないので、今思えば結構それって危なかったんじゃないかと思うw。
そういう出入り自由なところは、男女関係なく沢山の交友が生まれるっていう点ではよかったことだったな。
3年になって宿舎を出る時は、写真のような入舎時と同じ状態になった部屋を見てものすごく寂しくなったもんな~。
自分の一人暮らしのスタートがここであったことは、今となってはよかったなーって思う。
これは上京してから、あるスクールの先生に言われた言葉なんだけど、
「最初から便利だったり、きれいだったり、近かったり、裕福だったりな生活に慣れると、自分が転落していった時に大変な思いをするから、つらい思いは買ってでも経験しておいた方がいい。」
大学生の時の自分の生活は正にこの言葉を物語る生活だったw。
27000のアパートに住んでいたときもあった。(この、俺の人生史上伝説に残るであろうアパートの話はまた機会があればw)
こういう経験が、自分の中のハングリー精神につながって、
ある程度自分で生活できるようになった今も、どこかにちゃんと根付いている気がする。
なんでも、最初からあったら、それがあることにさえ気づかず、ありがたみも感じないだろう。
なんでも、あれば幸せってわけじゃないし、
ない幸せ
ないからそれを追い求める幸せってあると思う。
逆に自分はそういう幸せが好きなんだろうなって思うし。
学生の中には、ここでの生活を毛嫌いしてぜったい宿舎にははいらないとか、入ってもすぐ宿舎を出て行ってしまう人もいたけど、
俺にとってはこの汚い宿舎での2年間は、大学での授業以上に、大切なことを教えてくれた2年間でしたw。
BET CYPHER 2013
TDEかっこいいねーー。
A$AP MOBの映像見れないの残念。
個人的にSchoolboy Qの感じ好きー。
Rapの上手い下手あんまりわからないけど、Kendrik Lamarはやっぱりかっこいい。
TDEのパーカー欲しいなーー。