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Keep Looking Up

Keep looking Up=人生のおまじない。

空を見上げて想うこと。

どうせならもう ヘタクソな夢を描いていこうよ
どうせならもう ヘタクソで明るく愉快な愛のある夢を
「気取んなくていい かっこつけない方がおまえらしいよ」

一生懸命になればなる程 空回りしてしまう僕らの旅路は
小学生の 手と足が一緒に出ちゃう行進みたい
それもまたいいんじゃない?生きてゆくことなんてさ
人に 笑われるくらいがちょうどいいんだよ

心の奥の奥 閉じ込めてた本当の僕 生身の36度5分 
飾らずにいざwe don't stop
けどまだ強がってるんだよ まだバリアを張ってるんだよ 痛みと戦ってるんだよ

辛いとき 辛いと言えたらいいのになぁ 
僕たちは強がって笑う弱虫だ
寂しいとき 平気なフリをしているのは 
崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためさ
僕だけじゃないはずさ 行き場のないこの気持ちを 
行き場所のないこの孤独を 抱えているのは・・・

他人の痛みには無関心 
そのくせ自分のこととなると不安になって
人間【ヒト】を嫌って 不幸なのは自分だけって思ったり
与えられないことをただ嘆いて 三歳児のようにわめいて
愛という名のおやつを待ってる僕は
アスファルトの照り返しにも負けずに 
自分の足で歩いてく人たちを見て思った
動かせる足があるなら 向かいたい場所があるなら 
この足で歩いてゆこう

もう二度とほんとの笑顔を取り戻すこと 
できないと思うかもしれない夜もあったけど
大切な人たちの温かさに支えられ 
もう一度信じてみようかなと思いました

辛いとき 辛いと言えたらいいのになぁ 
僕たちは強がって笑う弱虫だ
寂しいのに平気なフリをしているのは 
崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためだけど
過ちも傷跡も 途方に暮れ べそかいた日も 
僕が僕として生きてきた証にして
どうせなら これからはいっそ誰よりも 
思い切りヘタクソな夢を描いてゆこう
言い訳を片付けて 堂々と胸を張り 
自分という人間を歌い続けよう
正直に気持ちを話すとみんなが心配するってこと、ちゃんと分かってる。でも、今の気持ちに嘘をついてまで笑顔でいることができなかったんだ。どこかで知ってほしかった。今こんな気持ちなんだって。届くかは分からないけど、迷って迷って送ろうって決めた小さなSOS..

いつからかゎ分からないけど、最近なんだかおかしかったの。自分で自分がコントロールできなかった。ふとした時に涙があふれて、夜になるのがこわくて、誰かに優しくされるとただそれだけで泣いてる自分がいた。どうしたらいいのか、なにがつらいのか、どうしたいのか、いっぱぃ問いかけたけど答えが分からなかった。

留学して2ヶ月経って3ヶ月目に入ろうとしてる時。よく言われてるホームシックの時期と大学でのことが重なって留学したての頃には考えられないくらい下を向いて歩いてた。

シアトル来てから日本のみんなに会いたくなったけど、そこまで辛くはならなかったの。だからホームシックなんかならなぃって思ってたし、実際今がホームシックなのかどうかもよくわかんない。でもなんだろうね。いろんなことを考えてるょ。

先週日本から大きな荷物が届いた。中には日本のごはんや洋服やバックやマフラーとかが詰められてて、それと一緒にママやじぃじ、のりこおばちゃんからのお手紙が入ってたんだ。読んでからしばらく涙が止まんなかった。ママの手紙に書いてあったの。『周りが見えなくなるほど夢中になっちゃうひいちゃんだから体が心配です。何か送ってほしいもの、シアトルで買いたいものがあってお金に困った時は我慢しないで連絡するんだよ。辛くなったり淋しくなったらいつでも電話しなさい。』きっとなんでも分かってるんだなぁって思った。シアトル着てからね、欲しいものもお金も何も言わなかったんだ。かわいぃ洋服もおしゃれなブーツもあったけどどっかでちょっと我慢してた。留学だけでもお金いっぱぃかかってることわかってたから。ここに来れただけで他の欲はなぃ。最低限生活できればいいかなって。そんなに多くのことを望んだらバチが当たるような気がしてた。でもママは何も言ってないのに我慢してるってことまで分かってたみたぃ。一緒に入ってたお年玉は使わずにいざという時のためにとっておいたょ。日本にいたら当たり前だった家族の大きさを知ったホームシックの気持ちはすごく大きかった。1年ぶりに食べたかんそういもはなんだかすごく甘く感じた。目をつぶると日本のお家に着くような気がしたの。初めて体のそこから淋しいって思った。いくら優しいホストのお家にいてもやっぱり日本のお家は18年育った家。1番に見守ってくれてる場所、帰りを待ってってくれる場所なんだって気付いた。

大学での生活。想像してた以上に大変だった。大変だってわかってる場所をあえて選んだ2年前の自分に会いたかったょ。空き時間、放課後、ごはんの後、全部の時間を使ってもできなぃこと、母国語の英語で勉強するアメリカ人と肩を並べて勉強すること。夜中何時間もかけて読んだreading part、それからdiscussの考えをまとめた。でも次の日学校に行って授業前に来た男の子。地理の10分前から始めて教授が来る頃には同じ課題をやり終えてた。これが現実なんだなぁって思ったょ。いくら英語を勉強したって、適わない。何年英会話をしてたって、毎日英語を話してたってネイティブのスピードで話されるDiscussについていくこと、毎日同じように課題をこなすこと、そんな普通のことが英語ができないとここまでつらいものになるんだなぁって。一体いつになったら分かるようになるんだろう。ほんとに英語力ついてるの?そんなことずっと思ってた。『留学生だから。』そんな言葉ここでゎ通じない。同じ教室にいる限り、求められるものは変わらない。誰かが助けてくれるわけでもなぃ。つらくても乗り超えられるのは自分しかいなぃ。

大学で友達できたって言ってもクラスが終わればみんなそれぞれの専攻がある。お昼も放課後も1人だった。大きい大学を歩いてると2高のことを思い出したよ。『ひぃちゃん』って、後ろ見たらみんながいる気がしたの。初めて大学で泣いてた。知らないうちにいっぱぃ溢れてきてた。日本にいたら感じなくていい気持ち。言葉が分かるってこと、同じ国で育ってきてるって大きいなって思った。『みんながいるよ』って言う言葉。ずっと信じてきたけど、今ならみんなは日本にいるって痛いほど感じる。いつだって1人。何かを始める時、何かに飛び込む時、勇気がいるそんな瞬間、こわくて逃げたくなるそんな一瞬でもそこには自分しかいないってこと。今になってそのつらさに向き合っています。
2007年1月2日、晴れて大学生になれました

初めての授業があった昨日はほぼ固まってきょろきょろきょろきょろしてた笑 相変わらず地図の見方が分かんなくて大学をぐるぐる迷子になってさまよってました

1限のGeographyは40人くらぃのクラスその中で留学生は1人です。。周りはみんなアメリカ人=母国語英語ねっていうことに焦って硬直してた昨日。。空き時間に勉強してお昼から2つの英語の授業最後のは4日からだからまだ受けてないけど英語を勉強するのには去年1年で慣れました

ちなみにこれがwinter quaterのclasses

5:30起きる
6:30Mikeと出発
7:00BCC到着勉強開始
8:30Geography
9:20finish
11:30Communication&Culture
12:20finish
14:30Academic English
15:20finish

昨日は帰ってからAnneにいろいろ教えてもらって『明日は地理のクラスで誰かに話しかけて友達作る』って約束。。Anneは元UWの教授ひみの場合、お家に帰っても頼りになる先生がいてくれる感じどっちもひみにとったら学校です勉強の仕方もなんとなくつかめてきたょ

それで2日目の今日、同じように起きてMikeと学校行って1限の前にちょこっと勉強。。それでね




地理のクラスで友達ができましたあまりにうれしくて日記書いちゃった笑 周りがみんなネイティブのクラスも昨日はきつかったけど今日は大丈夫だった☆アメリカの大学にいたらそりゃぁやっぱり生徒はアメリカ人ですよねって気づいたよ笑 男の子も女の子も年齢が違くてもみんな普ッッ通に接してくれます留学生だからっていう扱いをするわけでもなんでもなく1人のクラスメートとして助けてくれたり一緒に勉強したり昨日はほんとに死ぬかと思うくらい固まってたけど、今日から地理も頑張れそう

宿題も課題もテストも多いけどできるだけのこと精一杯やって頑張ろうって思いましたそれでゎ課題に戻りま
A Happy New Year

2007年おめでとぅございます今年は最後の数字が7だからいいことありそうな予感

そんな新年の朝ものぉんびり9時30起き笑 それからようこを見送ってお家に戻ってまたちょっとぼぉーっと

12時になってAnneと一緒に近所のお家に行きましたそこは日本人2世のおじいちゃんおばあちゃん、その娘さんたちが住んでるお家。初めて行ったけど大きくて飾ってあるものとか日本っぽくて落ち着いちゃった

しばらくすると目の前にはお雑煮夢かと思って目何回もこすちゃった。。みぃんな日本人だけど日本語は話せなくて英語の会話。。でも目の前に広がるのは日本食アメリカでおもち食べれるなんて思ってなかったからびっくりしちゃった

そのうちにおじいちゃんが日本に行った時の写真見せてくれたり、帰り際におばあちゃんがおもちとおしょうゆとのりくれたり、なんだか日本のお正月してるみたいな錯角になった。それでちょっとだけ日本恋しくなっちゃったアルバムに貼られてた写真は渡米前に家族みんなで行った場所と同じで、あったかぃお雑煮は茨城のお家のこと思い出させたから。優しく笑うおじいちゃんもおばぁちゃんも本当のおじいちゃん達にすごく似てた

目が真っ赤になって泣きそうになった時Anneが『やっぱり日本は特別なんだね写真見ながらうれしそうに笑うひみを見てるとどんな気持ちでいるのか分かるよ』って言って背中さすってくれた。そんなAnneの言葉に答える時間もなくて流れてきたのはうれし涙にいろんな気持ちが混ざった涙。みんなの優しい笑顔がすごくあったかかったんだ。

家に戻ると日本のお家から電話。何回も送る荷物を確認してくれるママ、機械系の説明してくれるパパ。それから久しぶりに聞いたおじいちゃんとおばぁちゃんの声。『大学入学おめでとぅ』『アメリカでいい家族に恵まれてほんとに幸せだね』『早く風邪なおすんだょ』その声を聞いたらなんだかすごく会いたくなっちゃった。。

電話を切ってしばらく涙が止まらなかった。。悲しかったんでも淋しかったんでもなくて、ただ、うれしかったの。離れていても変わらずに心配してくれてること、変わらずに見守っていてくれてること、どれだけの人に支えてもらっているんだろうって思った。ここに来てからも抱えられないほどの優しさをもらってたくさんの人が助けてくれた。みんながあたたかく迎えてくれた。おばぁちゃんが『ほんとにラッキーな子なんだからみんなに感謝するんだよ』ってその言葉通り毎日みんなにありがとうの気持ちでいっぱぃだょ。日本もシアトルもひみにとったらどっちも大切で大好きな人がいっぱぃいる場所そんな2つの場所に挟まれて感じたものは幸せ涙でした

明日からはいよいよ大学が始まります新しい場所でまた1歩頑張ってみるよ

大切なみんなが笑顔でこの1年過ごせますように
大晦日の日。アメリカではざわざわすることもなくて意外と普通なんだなぁって思いました笑 街も全然そんな雰囲気出てないから今日が2006年最後なんて信じられなかった

お昼からDowntown行ってようことカフェでまったりして、それから海が見えるベンチがあるとこに行ったよ

そこで海見ながら『1年って早いよね』って言いながらおしゃべりしてなんかこの1年振り返っちゃった

去年の大晦日、泣きながら新年迎えたっけ新年早々一体どうなっちゃうんだろうって思ってた2006年を迎えたのはまいみーのお家だったねあれから1年、ほんとにいろんなことがあったけど振り返るとなんだかすごく早く感じて不思議><

1月、センター試験を受けるみんなを応援しながら大好きな2高に通って
2月、生活の中心がほぼバイトになって朝から夜までバイトバイトの生活
3月、泣きながら2高を卒業してすぐまいみーと免許の合宿。そんななかで18才になってあとゎ茨城で遊んで楽しんで暮らしてた
4月、東京で寮暮らししながらELS通い家を出て初めていろんなことに気づいたっけ。。
5月、GWで茨城に帰省バナナメンバーと久しぶりに会えてほんとにほんとにうれしかったぁ
6月、英語にも慣れて生活もだんだん落ち着いてきたけど精神的にきつくなってきた時期
7月、夏休みなしでの英語生活。。でもみきがベルギーから帰ってきて優子や加穂や愛ちゃんとかみんなで水戸で会えてうれしかったぁ
8月、心身ともに大変だった時期放課後はいつも病院行ってたけどそれでももう限界を感じて茨城に一時的に帰ってお休みしてた
9月、ママや友達から元気もらってなんとか復活卒業目指して英語に集中
10月、ELS卒業念願の茨城ニート生活たくさんの大好きなみんなに会いに行っていっぱぃ日本の思い出つくった
11月、シアトルに上陸あったかぃホストに恵まれて優しい街シアトルで留学生活スタート
12月、ELSシアトル校卒業BCCに大学を決める☆

そんな2006年。。泣いて笑って、新しい場所で大好きだった2高を離れて、いろいろ学んで過ごした大きな1年だったなぁ。。

そしてそんな1年の最後はようこがひみのお家に泊まりに来てAnneとMikeがとってもおいしいごはんを作ってくれて窓から花火を見て、ちょっと大人っぽくシャンパン入りのオレンジジュースカクテルで乾杯して締めくくりました

2007年もいい年になりますように☆★