正直に気持ちを話すとみんなが心配するってこと、ちゃんと分かってる。でも、今の気持ちに嘘をついてまで笑顔でいることができなかったんだ。どこかで知ってほしかった。今こんな気持ちなんだって。届くかは分からないけど、迷って迷って送ろうって決めた小さなSOS..
いつからかゎ分からないけど、最近なんだかおかしかったの。自分で自分がコントロールできなかった。ふとした時に涙があふれて、夜になるのがこわくて、誰かに優しくされるとただそれだけで泣いてる自分がいた。どうしたらいいのか、なにがつらいのか、どうしたいのか、いっぱぃ問いかけたけど答えが分からなかった。
留学して2ヶ月経って3ヶ月目に入ろうとしてる時。よく言われてるホームシックの時期と大学でのことが重なって留学したての頃には考えられないくらい下を向いて歩いてた。
シアトル来てから日本のみんなに会いたくなったけど、そこまで辛くはならなかったの。だからホームシックなんかならなぃって思ってたし、実際今がホームシックなのかどうかもよくわかんない。でもなんだろうね。いろんなことを考えてるょ。
先週日本から大きな荷物が届いた。中には日本のごはんや洋服やバックやマフラーとかが詰められてて、それと一緒にママやじぃじ、のりこおばちゃんからのお手紙が入ってたんだ。読んでからしばらく涙が止まんなかった。ママの手紙に書いてあったの。『周りが見えなくなるほど夢中になっちゃうひいちゃんだから体が心配です。何か送ってほしいもの、シアトルで買いたいものがあってお金に困った時は我慢しないで連絡するんだよ。辛くなったり淋しくなったらいつでも電話しなさい。』きっとなんでも分かってるんだなぁって思った。シアトル着てからね、欲しいものもお金も何も言わなかったんだ。かわいぃ洋服もおしゃれなブーツもあったけどどっかでちょっと我慢してた。留学だけでもお金いっぱぃかかってることわかってたから。ここに来れただけで他の欲はなぃ。最低限生活できればいいかなって。そんなに多くのことを望んだらバチが当たるような気がしてた。でもママは何も言ってないのに我慢してるってことまで分かってたみたぃ。一緒に入ってたお年玉は使わずにいざという時のためにとっておいたょ。日本にいたら当たり前だった家族の大きさを知ったホームシックの気持ちはすごく大きかった。1年ぶりに食べたかんそういもはなんだかすごく甘く感じた。目をつぶると日本のお家に着くような気がしたの。初めて体のそこから淋しいって思った。いくら優しいホストのお家にいてもやっぱり日本のお家は18年育った家。1番に見守ってくれてる場所、帰りを待ってってくれる場所なんだって気付いた。
大学での生活。想像してた以上に大変だった。大変だってわかってる場所をあえて選んだ2年前の自分に会いたかったょ。空き時間、放課後、ごはんの後、全部の時間を使ってもできなぃこと、母国語の英語で勉強するアメリカ人と肩を並べて勉強すること。夜中何時間もかけて読んだreading part、それからdiscussの考えをまとめた。でも次の日学校に行って授業前に来た男の子。地理の10分前から始めて教授が来る頃には同じ課題をやり終えてた。これが現実なんだなぁって思ったょ。いくら英語を勉強したって、適わない。何年英会話をしてたって、毎日英語を話してたってネイティブのスピードで話されるDiscussについていくこと、毎日同じように課題をこなすこと、そんな普通のことが英語ができないとここまでつらいものになるんだなぁって。一体いつになったら分かるようになるんだろう。ほんとに英語力ついてるの?そんなことずっと思ってた。『留学生だから。』そんな言葉ここでゎ通じない。同じ教室にいる限り、求められるものは変わらない。誰かが助けてくれるわけでもなぃ。つらくても乗り超えられるのは自分しかいなぃ。
大学で友達できたって言ってもクラスが終わればみんなそれぞれの専攻がある。お昼も放課後も1人だった。大きい大学を歩いてると2高のことを思い出したよ。『ひぃちゃん』って、後ろ見たらみんながいる気がしたの。初めて大学で泣いてた。知らないうちにいっぱぃ溢れてきてた。日本にいたら感じなくていい気持ち。言葉が分かるってこと、同じ国で育ってきてるって大きいなって思った。『みんながいるよ』って言う言葉。ずっと信じてきたけど、今ならみんなは日本にいるって痛いほど感じる。いつだって1人。何かを始める時、何かに飛び込む時、勇気がいるそんな瞬間、こわくて逃げたくなるそんな一瞬でもそこには自分しかいないってこと。今になってそのつらさに向き合っています。