林新・堀川惠子「狼の義 新 犬養木堂伝」感想 | S blog  -えすぶろ-

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-人は年をとるから走るのをやめるのではない、走るのをやめるから年をとるのだ- 『BORN TO RUN』より
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中江兆民は議場で犬養の演説を聞いて、党の新聞にこんな記事を書いた。

<犬養君は身体を反らせ、率直で皮肉な語気語調をもって、驕る官吏に鉄槌を下した。その様は聴者を怖がらせるほどだ。五分刈りの頭、爛々の眼、精悍の相貌、矮小、脂肪少なくして筋と腱だけの体幹、無頓着な風表は深刻なる性質を宿している>

坊主頭に目だけをギョロつかせた精悍な顔を、記者たちは「狼顔」と呼ぶようになる。

 

犬養毅(号・木堂 安政二年1855年-昭和七年1932年五一五事件で軍の青年将校達に暗殺される)

このブレない漢の生き様を丹念な史料調査から描ききった傑作評伝小説。これを読めば誰でも木堂ファンになります。

 

「木堂」の由来は、論語の「剛毅朴訥近仁(ごうきぼくとつじんにちかし)」にある。意志が強く、飾り気がなくて口数が少ないのは道徳の理想とする仁に近い。仁、すなわち自己抑制と他者への思いやり。「木堂」の号を身にまとうことにした犬養は、そんな風に生きたいと思った。


吾十四歳にして父を喪ひしより 困苦の中に修学し成長し
既にして世に出て政事に関係せしより 長らく逆境に居り
世の寒苦辛酸を嘗め尽くしたるが故に
貧民に対する毎に 若し吾身この境遇に在らばと思ひやるが故に
未だ曾て僕 婢などを叱罵したることあらず
吾子 孫も亦この心を以て人に接せんことを望む この心が即ち恕なり
昭和六年十月書して女孫 道子に付す 木堂

 

 

木堂が西郷隆盛を尊敬していたこと、西南戦争には学生ながら記者として従軍もしていたことをこの本で初めて知りました。

 

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也(なり)。この『仕末に困る人』ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬ也」
「児孫の為に美田を買わず」

西郷隆盛 『西郷南州遺訓』より
 

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人 西郷隆盛の逸話

 

木堂もこの西郷と同じく、金には無頓着、汚職とは無縁、私腹を肥やすようなことは一切せず、ひたすら信念のままに突き進んだ「サムライ」政治家でした。

孫文との交流は有名で知っていましたが、まさか、そんな家計状態で亡命中の孫文を匿っていたのか!と驚きました。

 

「命もいらぬ、始末に困る人」ぶりは、五一五事件時、官邸に乱入してきた将校らへの対応の仕方に存分に表現されていました。

「お義父さま、お逃げになって」

「いや、逃げん」

「なあに、心配はいらん。そいつらに会って話を聞こう」

杉戸を突破した男たちが廊下を突き進んできた。

男らの目の前に、小柄な老人がすっくと立った。動じた風もなく、まっすぐこちらを見据えている。小さな身体に真っ白い髭、帯一本の着流し。古武士のような質素な出で立ちは、男たちの脳裏にあった権力者の像からはあまりにかけ離れていた。

三上中尉が勢いで銃把を握る手を突き出し、引き金を引いた。

カチッ---

不発だ。一発撃つごとに装填しなくてはならないのに、興奮のあまりそれすら忘れていた。慌てて胸のポケットからバラ弾を取り出した。

「まあ、待て」

犬養は一歩、二歩と、男たちの方に歩み寄った。

「君らはなぜ、このようなことをする。まず理由を聞いたうえで、撃たなくてはならない事があるならば、その時に撃たれようじゃないか」

 

一度は政界を退いた木堂が死の前年、再び請われて政界へ戻る直前、息子健と西郷の墓参に訪れた時の言葉。

「軍事に関しては、西郷より大村益次郎が一枚上だ。政事に関しては大久保利通が実効を上げておる。だがな、一たび生死の問題になると西郷の独壇場だ。晩年の西郷は、死を求めず、死を恐れずの絶大無辺の境地に達しておった」

「人間というのは、幾つになっても命が惜しいもんだ。なかなか、西郷のような最期は遂げられるものではないぞ」

そんな父の姿に、健は西郷の晩年を重ねずにはいられなかった。西郷が安寧の日々を打ち捨て、再び西南戦争へと奮起したように、父にもいよいよ起つ日が迫っているのか。原敬そして浜口雄幸がテロルに倒れた今、その道は決して平坦ではない。

 

そして、木堂絶命に至るまでの描写が余りにもリアルで泣けました。

感動の評伝小説、葉室麟や伊集院静等も受賞した司馬遼太郎賞受賞作というのも納得の作品でした。感動の大作!

 

<第23回司馬遼太郎賞受賞 作者コメント>
司馬遼太郎氏の名を冠した賞をいただき、とても光栄です。
今作は夫が命をかけた仕事であり、私がこれまでに手掛けてきた作品の中でも、最も必死に取り組んだものです。出版後も、夫の思いに本当に応えられたのかと、不安の念に駆られる時がありました。そのため、受賞によって及第点をいただけた思いで、嬉しい限りです。
現在の政治にも様々な問題があります。日本の「これまで」と「いま」、そして「これから」を考える上で、今回の受賞が多くの方々に『狼の義』を参照していただける契機となれば、これに優る喜びはありません。
この作品に光を当てていただいたことを、たいへん感謝しております。
――堀川惠子

 

<出版社紹介文>

この男を失い、日本は焦土と化した。

最期の言葉は「話せばわかる」「問答無用」ではなかった!?
5・15事件の実態はじめ、驚愕の事実に基づく新評伝。
政界を駆け抜けた孤狼の生涯を圧倒的筆力で描く!!

「極右と極左は毛髪の差」(犬養毅)
日本に芽吹いた政党政治を守らんと、強権的な藩閥政治に抗し、腐敗した利権政治を指弾し、
増大する軍部と対峙し続け、5・15事件で凶弾に倒れた男・犬養木堂。
文字通り立憲政治に命を賭けた男を失い、政党政治は滅び、この国は焦土と果てた……。
戦前は「犬養の懐刀」、戦後は「吉田茂の指南役」として知られた古島一雄をもう一人の主人公とし、
政界の荒野を駆け抜けた孤狼の生涯を圧倒的な筆力で描く。
最期の言葉は「話せばわかる」ではなかった!? 5・15事件の実態をはじめ、驚愕の事実に基づく新評伝。

「侵略主義というようなことは、よほど今では遅ればせのことである。どこまでも、私は平和ということをもって進んでいきたい」
(1932年5月1日、犬養首相の日本放送協会ラジオ演説より)
真の保守とは、リベラルとは!? 明治、大正、昭和の課題を、果たして私たちは乗り越えられたのか?? 

※本書は2017年に逝去された林新氏が厳格なノンフィクションでなく、敢えて小説的な形式で構想し、着手したものを、堀川惠子氏がその遺志を受け継ぎ、書き上げたものです。