「因幡国の栗食い娘の話」を推察する-小林秀雄「徒然草」の謎かけ | S blog  -えすぶろ-

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(徒然草は)文章も比類のない名文であって、よく言われる枕草子との類似なぞもほんの見掛けだけの事で、あの正確な鋭利な文体は稀有のものだ。一見そうは見えないのは、彼が名工だからである。
「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず」、彼は利き過ぎる腕と鈍い刀の必要とを痛感している自分の事を言っているのである。物が見え過ぎる眼を如何に御したらいいか、これが徒然草の文体の精髄である。

 

同じ批評家として小林秀雄は「徒然草」という短編評論で徒然草の作者である吉田兼好をこのように絶賛していました。

そしてこの利き過ぎる腕と鈍い刀で書かれた代表の様な話として下記を挙げています。

 

因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、ただ栗をのみ食ひて、更に米(よね)のたぐひを食はざりければ、「かかる異様(ことよう)のもの、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。

これは珍談ではない。徒然なる心がどんなに沢山な事を感じ、どんなに沢山な事を言わずに我慢したか。

 

この謎かけのような文でこの評論は終わっており、読後すぐにでも吉田兼好の「徒然草」を読み返そうというような気持ちになる傑作評論です。

 

さて、このこれは珍談ではない。徒然なる心がどんなに沢山な事を感じ、どんなに沢山な事を言わずに我慢したかという謎かけのような唐突な終わり方について、かなりモヤモヤしたという読者も多いのではないかと思います。(ネット上にも検索すると推論的なものがいくつか出ています)そこで、私も自分なりの推察を書いてみたいと思います。

 

まず、この話は今の言葉に直すと、因幡国(鳥取県)に住む何の入道とかやいふ者(在家のまま出家したどこかの貴族や豪族の男)の娘、かたちよしと聞きて(とても美しいと噂を聞いて)、人あまた言ひわたりけれども、(多くの男達が求婚に来たが)、この娘、ただ栗をのみ食ひて、更に米(よね)のたぐひを食はざりければ(栗ばかり食べて米類を食べないので)、「かかる異様(ことよう)のもの、人に見ゆべきにあらず」(こんな異様な娘を誰かと結婚させるわけにいかない)」とて、親許さざりけり(親は許さなかった)。

となります。

私は以下のように推察しています。

①この噂の発端は恐らく娘を嫁に出したくない何とか入道という父親が「うちの娘は栗しか食べない異様のものだ」という嘘を考え付き、娘に言い寄って来た男にそれを理由に断りを入れたところから始まったのだろう。

②入道は、そもそも姿形が美しいと聞きつけただけで言い寄ってくるような男になど大事な娘を嫁がせるわけにはいかないと思ったか?

余程気に入らない男がやって来たのか?あるいは娘がどうしても嫌がったのだろうか?

③しかし男は当然貴族だったであろうし、入道よりも格上の家柄の子息だったのかもしれない。相手の申し出をむげに断るわけにもいかず、父の入道は「この娘、ただ栗をのみ食ひて、更に米(よね)のたぐひを食はざる異様(ことよう)のものなので、貴方のような立派な方には相応しく御座いません」と断ったことが噂となって広まってしまったのではないか。

④栗しか食べない娘・・・父の入道が男の求婚を断る為に苦し紛れに咄嗟に思いついた嘘だったのかもしれない。考えてみればかなり陳腐な嘘だ。相手の男もよくこんな嘘を信じて帰っていったものだ。

⑤この嘘の余りの珍談ぶりに噂はどんどん広まってしまったのだろう。恐らく娘の縁談話はその後、遠のいてしまったのではないか?

⑥もし、この噂話がかなり以前から流れているような類のものだとしたら、もしかすると娘は一生独身で過ごすことになってしまったのかもしれない。

⑦だとしたら入道は咄嗟に思いついたような陳腐な嘘=この娘、ただ栗をのみ食ひて、更に米(よね)のたぐひを食はざるの為に、孫を抱くこともできずに淋しく死んでいったのだろうか?

⑧人の噂程当てにならないものはないが、こう考えてみると実に恐ろしいものでもある。

⑨人の世は、何が災いし、幸いするか分からずに移ろい流れてゆく無常な世界だ。

 

こんな感じです。

いくらでもイマジネーションが膨らんでくる感じがします。正に「鈍刀」で彫られたような名文ですね。

 

関連記事↓

『よき細工は、少し鈍き刀を使ふといふ』 吉田兼好

 

「徒然草」と同じような終わり方をする随筆です↓

小林秀雄「栗の樹」感想 -私の栗の樹は何処にあるのか?