走ることについて語るときに僕の語ること 村上春樹 | S blog  -えすぶろ-

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-人は年をとるから走るのをやめるのではない、走るのをやめるから年をとるのだ- 『BORN TO RUN』より
走りながら考える ランニング・読書のブログ

この3連休で予定通り、30km走を含む60km走り込むことができました。
土曜日体調不良だったのでトレーニング内容を変更しましたが
2月の東京マラソンに向けたトレーニングメニューを着実にこなせています。


もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、
その文句を自分で選ぶことができるのなら、
このように刻んでもらいたいと思う。

村上春樹
作家(そしてランナー)
1949-20**

少なくとも最後まで歩かなかった

私は村上春樹の小説を読んだことはありませんが、
この本は自分が走り出してから買って、
何度も読み返しています。

村上さんは、1982年、専業小説家となってから
健康管理のために煙草を止めて走り出したそうですが、
その後毎年のようにフルマラソンを走っているそうです。
走り続けているランナーならではの名言が散りばめられた
ランナーにとってはとても心に響くエッセイです。

長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、
それは過去の自分自身なのだ。


小説を書くことは、フルマラソンを走るのに似ている。基本的なことを言えば、
創作者にとって、そのモチベーションは自らの中に静かに確実に存在するものであって、
外部にかたちや基準を求めるべきではない。


走ることは僕にとって有益なエクササイズであると同時に、
有効なメタファーでもあった。
僕は日々走りながら、あるいはレースを積み重ねながら、
達成基準のバーを少しずつ高く上げ、
それをクリアすることによって、自分を高めていった。


昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、
それがより重要なのだ。
長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、
それは過去の自分自身なのだから。


僕は走りながら、ただ走っている。
僕は原則的には空白の中を走っている。
逆の言い方をすれば、
空白を獲得するために走っている、
ということかもしれない。


走っているときに頭に浮かぶ考えは、
空の雲に似ている。
いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。
それらはやってきて、過ぎ去っていく。
でも空はあくまで空のままだ。
雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。
それは通り過ぎていくものだ。
そして空だけが残る。
空とは、存在すると同時に存在しないものだ。
実態であると同時に実体ではないものだ。
僕らはそのような茫漠としたいれものの存在する様子を、
ただあるがままに受け入れ、呑み込んでいくしかない。




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