『致知1月号』岡田監督対談記事  何事にせよ皆必要であるからこそ起こってくる | S blog  -えすぶろ-

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『南アフリカの父へ』 岡田監督 お疲れ様でした。

という記事にも書きましたが、

今年の父の日に『南アフリカの父へ』

というタイトルで全国紙の新聞各紙に一面広告で

岡田監督への娘さんからの感動の手紙が載りました。


『致知』1月号で岡田監督の対談記事があり、

この広告を思い出しました。


今回のワールドカップ代表監督では、

最後こそ皆が「岡ちゃんのおかげ」と、もてはやしましたが、

予選前の国際試合で4連敗した時には強烈なバッシングがありました。

それについて


「1997年の代表監督の時にも、

脅迫状や脅迫電話が止まらないという状態を経験していましたからね。

あの時は24時間、家の前にパトカーが止まっていて、

子供たちが学校へ行くのも危険だから、

送り迎えをしてほしいと言われました。

テレビで親父がボロカスに言われているのを見て、

子供らは泣いていましたね。

それで今回のバッシングに関しては、

結局、開き直るといいますかね。

今の自分にできること以外はできないと。

全力を尽くしてダメだったら、もうしょうがない、

と腹を括りました。」



確かに最初の日本代表監督の時には

大変なバッシングだったのを覚えています。

しかし、その経験があったからこそ

自分は成長できたのだと言います。


「何しろ、自分が監督経験もない中で、

突然、日本代表の監督になったんですからね。

私が41歳の時ですが、あの時は本当に想像を絶する大変さでした。

プレッシャーといい、家族が味わった大変さといい、

あの経験が全てを変えてくれたというか、

自分を強くしてくれましたね。

コーチが何を言おうが、決断するの自分ひとりですから。」



そして何よりも家族のありがたみを痛感したそうです。


「あの時改めて感じたのは、家族のありがたみです。

日本中の人が僕を批判しても、

家族だけは「ご苦労さん」と迎えてくれるという安心感がありました。

それがなければ、きっと一人では耐えられなかっただろうと思うんです。」



そして、そういった強烈な逆境を体験して

こういったことが分かったそうです。


何事にせよ、皆必要であるからこそ、起こってくるものだと思うんです。

今まで僕がスランプに陥ったり、

世間から叩かれたりした時を考えてみても、

その後を見ると必ず上へと上がっているんです。」



なので、例えば

スランプに陥った選手が「自分はダメかもしれない」と思っていても

こうアドバイスをしてあげられるそうです。


「そうじゃない。

今よりも高いところへ行くために落ちてるんだ。

ジャンプする時には一回しゃがむだろう。





この記事を読んでから、

あの手紙を再度読み返してみると

より深く心に響きました。




南アフリカの父へ


お父さん、元気ですか。

ごはん、ちゃんと食べていますか?

ちゃんと眠れていますか?

お父さんが岡田監督として難しい顔をしている姿、

毎日テレビで見ています。

たいへんな時が続きますね。

日本中の人の夢や期待を背負ったチームの監督として

ピッチに立っているお父さん。

私には想像もつかないような

プレッシャーと闘っているお父さん。

この間の試合の後、ますます厳しい顔をしているのを見て、

お父さんらしいと思いました。

お父さんが誰よりも真剣に、サッカーを考えていること。

サッカーを愛していること。

そして、覚悟を持って仕事をしていること。

私は知っています。

だから、信じています。

今日はいよいよオランダ戦ですね。

南アフリカのお父さんに、

私たち家族ができることは少ないけれど

精一杯、応援しています。

いつもありがとう。

お父さんは、私の誇りです。


娘より