このブログを読んで下さっているということは、何か精神病の治療とか、そういう脳の病気に関することで、良い情報はないかな、ということでご覧になってくださっているのかもしれないですね
私も一生懸命、何か話題が提供できるか、少しでも提供できるようにということを考えています
前回までは、「とにかく薬物は断ち切らなければなりません」ということを述べたつもりなんですけども、そして薬物を断ち切るために、その禁断症状と戦わなければいけないということも、あなたには理解してもらいたいなと思って、述べたつもりなんですよ
そして、その禁断症状というものを和らげるために、また麻薬をほんの少しだけ使う、「減薬」というものは、これは絶対にやってはいけないんだ、ということを強調して付け加えておきます
これはわかってくださいますかね
どうでしょうか
麻薬を使えば、どんな病気でもどんな苦しみでも、完全に消え去ってしまうんですよ
わかりますか
麻薬を使えば、交通事故のケガでも、それからどんな伝染病の苦しみでも、どんな怪我の痛みでも、病気でも、麻薬を使えば、その苦しみはもう絶対なくなります
完全に消えてしまうんですよ
ですけども、麻薬を使えば、どれだけわずかな量でも、麻薬障害が重症化するんですよね
そして、その麻薬障害の苦しみというのは、麻薬を使えばなくなります
これにはどこまで行っても終わりがないでしょ
悪循環が続いていくわけですよ
当たり前ですけども、麻薬というのは悪魔の薬なわけですよね
人間を虜にして、人間を破滅に追い込む、人間を破壊し尽くす、人間としては生きられなくなる、それだけのことなんですよ
ですが、その麻薬を使って、手術の時には麻酔薬なんていうことにもなりますよね
これは名前が違うんですよね
麻薬を手術の時に使えば、麻酔薬というとても素晴らしい薬になるわけですよ
だからこれは難しいんですよ
麻酔薬を使うのは難しい
だから麻酔専門のお医者さんがいらっしゃるわけですよ
これ、本当にあの素晴らしい薬なんですね
麻酔薬というものは
ですが、麻薬ですから
麻酔薬というものも
たまに病院のお医者さんが麻酔薬を盗んで捕まったりしますよね
某大学の医学部なんかでもありました
大学病院でもそういうことがあるわけです
盗んだ麻酔薬を自分で注射して、打ちすぎてタヒんでしまった、なんていう者もいますよね
だからこの麻薬というのは、毒でもあるけれども薬でもある
私たちはこの知恵があるわけですから
人間としての知恵があります
この毒薬を薬として使わなければいけないわけですよ
「毒薬転じて薬と成す」
毒薬を薬にする
そういうようなことを心掛けなければいけないのです
ですけども、なかなかこの薬物中毒という薬物依存症という状態に陥ってしまえば、完全に麻薬は毒薬としてしか使うことができなくなるわけです
薬物中毒の者が、「私には必要なんだ」と言って、これは減薬なんだと言って、麻薬を使っていれば、いつまでも重症化するということなんですよね
わかりますかね
実際、どうなんですか
あなたは少しだったら、麻薬は使っても良いというように考えていますか
私は反対ですよ
私はどれだけ少量でも、麻薬を日常的に使うことには反対です
使うのであれば、緊急事態の時、手術の麻酔でもそうですし、長期間高熱に晒され続けて生命に黄色信号が点った時や、お怪我の際の応急処置の一時的な痛み止めとしての使用等、必要に駆られて使用するかどうかを決めます
基本的には絶対に反対です
ですけども、あなたはどうでしょうかね
この麻薬を使って、例えばどんな苦しみでも消えてなくなるわけですから、この麻薬をやめる時の禁断症状もなくなるんですよね
これを「減薬」というように表現する者が、世の中には大勢いらっしゃるわけですよね
そして、その減薬を推奨している者というのは、商売をしている人か、あるいは元精神病院の患者、だいたいこれらに大別出来ます
商売している人というのは、例えば病院の医者とか、内科医とか外科医とかいるわけですよ
病院のお医者さんが、精神科医の悪口を言って、精神病院はひどいとこなんだ、精神科医なんてロクデモナイんだ、なんて言いながら、自分も減薬で商売をしている
同じように金儲けしてるわけですよ
これらはもっと悪質かもわかりません
精神科医よりも
患者を騙して利を得ている、自分の飯のタネ、金のためにしているわけですからね
金の成る木になっているわけですよ
患者は騙されて
そこで、あなたはその減薬という方法を使った人を、今までに何人くらい見たことありますか
まともになった人はいないでしょう
私が知っている範囲では1人もいません
減薬で麻薬を断ち切ったつもりになっても、まともになった人間は1人もいないんですよ
あなたはどうですか
例えば、麻薬を断ち切った人をあなたが、10人でも20人でも見ているとしましょう
その中で、一人ぐらいまともになった人がいますか
どうなんでしょうか
世の中全体ではどうなんでしょうか
減薬で麻薬を断ち切った、つもりになっている者が、100人集まれば、その100人の中で、麻薬を断ち切った人ですよ、減薬で麻薬を断ち切ったと言い張る者が、100人集まればその中で何人くらいまともになっているんでしょうか
1人いるんでしょうか
では、わかりやすく考えてみましょうか
タバコを吸ってる人が、タバコを吸いながら、「やめるやめる」と禁煙に挑戦して、何人くらいが成功するのでしょうか
タバコを吸いながら、「タバコやめます」って言ってる者が10万人集まりました、その10万人の中で何人くらいタバコやめるんでしょうか
では、お酒はどうですか
お酒を飲みながら、「お酒やめる」っていう者が100万人集まりました
何人ぐらい止めるんでしょうか、お酒を
タバコをやめるのも、お酒をやめるのも、自分で決めたらどうなるんでしょうか
世の中には確かにいますよ、タバコの本数を減らしてタバコをやめました、お酒の飲む量を減らして、お酒をやめました、という者がいるんですよ
世の中には
ですけども、私はまだ麻薬障害者に対してのことを言いたいわけですよ
麻薬障害者が、これからどうなるのか、ということを、私は考えてもらいたい、ということなんですよ
麻薬障害者というのは、麻薬によって脳神経が壊れていて、そして異常な電流が出るから、次から次へと麻薬を体に入れなければ、異常な電流が出っぱなしになるんですよ
麻薬を使えば、異常な電流がなくなって、落ち着くということなんですね
この異常な電流が禁断症状、離脱症状ということです
そして、この異常な電流を抑えるために、麻薬を使えば、また脳神経が壊れて、重症化するということなんですね
だから、精神薬をやめました、精神病院へ行くのはもうやめました、という者でも、風邪薬を飲むとか、痛み止め、かゆみ止め、高血圧の薬、漢方薬、こういうものに手を出していたら、またやっぱり重症化するんですよ
これらの薬も麻薬で精神薬の一種なわけですよ
同じ麻薬を使っているわけですから
漢方薬もそうですよ
漢方薬から作られた麻薬というものがいっぱいあります
風邪薬の葛根湯なんてのもそうでしょ
中に入っているマオウというのは、覚せい剤が入っているわけですよ
エフェドリンというのがね
マオウというのはエフェドリン(覚醒剤)ですよ
だから、熱があっても元気になったような気分になるわけですよね
いいですか
よく考えてくださいね
人として生きるために
精神薬を過去に使用していたと言っている者でも、やめただけでは過去をなかったことには出来ません
やめた後が重要になります
①麻薬を断ち切る、
②精神病院とは縁を切る、
③当事者同士のつながりは捨て去る、
④正しい大人から学び直す
ということが、とても重要になります
正しい認知・思考・判断を取り戻すためには、やめた後にきちんと正しい大人の下で、正しい指導を受けなければ、正しい行いは取り戻せません
それまで散々自分の間違った判断で薬を使い続けてきた過去は消えません
正しい指導の下でやり直さなければ、必ずまたどこかで道を誤るか、そのまま独善的に生き続けるだけとなります
同じ過ちを繰り返す
人生の揉め事続きはおさまりません
自分だけはもう薬は使っていないから、もう過去のことだから、もう自分は大丈夫なんだ、そう思い込んでいても、やはり正しい行いは出来ません
そういう者とやり取りをしても、やはり残念な思いをさせられるだけです
独自の独善的な主張を繰り返し続けたり、人の話しを聞かない、自分の好きなように物事を解釈し、突飛な解釈をしては、一貫性のない主張を繰り返し続けたり、被害妄想から相手を傷つけてしまったり、周りを振り回してみせたりと、自分勝手な言動行動を繰り返します
麻薬をやめるのは当然です
やめてからが重要になるわけです
人として生きるために
当事者同士の集まりでは断ち切れません
以前、麻薬障害や依存に苦しむ者たちのコミュ二ティーをいくつか観察したことがありましたが、何処も同じようなものですが、何かを始める際に、特にこれから依存先を断ち切る為に、当事者同士で身を寄せ集めていくら言葉をかわそうとも、群れて成功したというケースを見たことがありません
そこには正しい大人の声がありませんから、それぞれに好き勝手なことを言い合ってるだけなんですね
どれも思い込みや個人の思い入ればかりで事実に基づかない、好き勝手な解釈で傷つきたくないがあるので、傷の舐め合い会となってしまうだけがほとんどです
というか全部ですね
必要ないんですよ
麻薬をやめる、依存先を断ち切る為に、同じような境遇の者と身を寄せ集める必要なんてのは
その集団に居ることでさらに遠回りにしかなりません
必要なことは語り合うことではなく、ダメなものは手離す、寄せ付けない、これだけですよ
「アディクションの会(仮称)」では、いろんな嗜癖に依存している者がいました
酒がやめられない、タバコがやめられない、盗癖が止まらない、毒親に育てられて親への依存が止まらないやら、すぐにカッとなって手を出してしまう者、いろいろなのが居ました
メンバー皆に共通しているのが他責思考であって、被害者意識が旺盛、人の話しに聞く耳を持たず勝手な解釈、そして薬物の使用履歴です
驚くのは
インターネットの世界でも、「自分はもう薬をやめたから」という立場から、過去の自分とは違うんだと主張する者は大勢いますよ
SNS(YouTube動画含む)でも同じです
ですが、きちんと正しい大人から正しい教えを学び直さない限り、完全に過去と決別出来ているわけではないんですね
きちんと正しくやめられてる者はそれほど多くはありません
甘ったれたこと言ってるのが多いでしょ
「わかるわかるつらいよね」だとか
傷の舐め合いに終始してみたり
「減薬は良い」と持ち上げていたり
正しく発信出来ていない者は多いですよ
ですから、やはりどこか自分勝手な思い入れや思い込み、思い上がりが全面に出ていますので、反省しなかった影響は後まで引きずります
やめただけでは終わってないんですよね
当人だけは終わったつもりになっている
以前はエビリファイを使用し、激太りだった自分も薬を止めれば痩せて体型を取り戻したと主張してはいても、観察しているとヤク中独特の世界観のままに情報発信をしてしまっている
配信している動画内で独自の世界観で主張を続け、たまにLIVE配信で視聴者の皆さんとの交流では、ある時は動画の中で「都知事選に立候補」を表明してみたり、食に興味を持ち始めてからは、農薬や食品添加物の危険性を説き続けるも、やはりこと薬物に関しては認識が甘すぎます
精神薬は「断薬よりも減薬だ」と主張してみたり、LIVE配信内で連日連夜と酒とタバコを止められず、酔った勢いで好き放題言いたいことを言い続ける
農薬は悪いものだ、自然農法で野菜を作って行くんだ、と方向転換して行っては、協力者を集い、畑を土地を借りては活動の幅を広げていったようですが、薬物に溺れていた頃の自分を思い出しては思い出を語ってみたり、「断薬よりも減薬で」と主張しながら、LIVE配信中に酒をタバコを好きなだけ煽り、酔っ払いながら何時間もクダを撒きながら配信をし続けてみたり
自分が薬に溺れていた頃のストーリーを美化したままに思い出話しとして語ってみたり
「自分の夢の実現の為には皆さんの協力が必要です」と訴え、「恥ずかしながらカネがないので生活も困るところまで来ている」と、スーパーチャットを期待して、皆さんの善意ありきで自身は酒タバコをやめるつもりがない
先の見通しも何も計画性なく突き進んで行きます
皆さんに農作業の協力をお願いして、人を集めても、長く運営していけるのでしょうか
自分の理想だけで周囲を振り回し
「農薬は無くても野菜は作れるんだ」、その理想はわかりますが、それを自分の理想を他人にまで押し付けるように、SNSでは既存の農家さんに向かってその方たちの仕事を全否定するコメントを発信しては炎上する
自分の理想はわかりましたが、わざわざそれを全農家さんに向かってまるで挑戦状のようなコメントを叩きつけ、自分から揉め事の火種を作り出し、何か言われれば全て「アンチにはわからないんだ」と独自の道を突っ走り続ける
私には理解が出来ません
自分で揉め事の火種を作り、それによって余計な問題がおきて、それによって苦しむ
「みんなは理解しない、出来ないんだ」
薬物中毒者のそれそのままですよ
なぜ自分が農家さんから叩かれまくっているのか、当人だけがその理由をわかっていない
理解しない
自分に何か言うものは全てアンチだと
自分の力でここまで出来るんだと主張を続けても、自分一人の力ではありませんよね
皆さんの協力があってこそですよね
そこまでに至る過程でも、仲間と意見が違えば「無礼者」として切り捨ててみたり
ところでLIVE配信で資金不足を訴えカンパしてもらって、根本は解決されているのでしょうか
麻薬障害者は自分で揉め事を作り、それで悩みを作り上げ、それに対して苦しんでいる
根本が変わらない限り、何も変わりません
痛み、痒み、発熱、高血圧、てんかん、精神病などは、麻薬を使えば完全におとなしくなります。
しかし、麻薬は脳神経の働きを停止させているだけなので、麻薬で治せる病気は一つもありません。
そして、麻薬の影響を受けた脳神経は、死ぬまで重症化を続けます。」
「麻薬の誘惑に負けて少量を使えば、単純に重症化します。
麻薬障害の治療に、減薬などというものはありません。」
「麻薬障害の治療は、麻薬を断ち切るだけです。」