週末千葉で会議があり、月曜も同じく千葉で会議があるので大阪に戻らず、週末は千葉の自宅で過ごします。
車の定期点検があったので、土曜日は近所のディーラーに行って点検してもらいました。
買って一年半で4500kmしか走ってません。
昨年は千葉、大阪兼務で月の半分は車で会社に通ってましたが、4月から大阪専従になったので、精々月の2日位しか車に乗ってないです。
点検は無事終わり特に問題なしでした。
整備してくれた人に目安として月に1000km位は走らないとバッテリーに負担がかかると説明されました。
日曜日は特に予定は無かったですが、バッテリー保守のため車を走らせます。
どこに行くかいなと考えても特に思いつかん。
とりあえず100kmは走ろうというわけで東関道に乗って大栄JCTから圏央道に入って神崎ICで降りました。
つくば辺りまで行くと帰りがしんどいからね。
ICのすぐ側にある道の駅 発酵の里こうざきで休憩。
この辺りは酒や納豆・醤油作りが盛んなので発酵の里なんです。
お昼なので道の駅のレストランで昼食にします。
レストランのメニューも発酵食品を使った物が多いです。
クソ暑いのでラーメン、蕎麦系はパス。
豚肉の味噌麹焼き定食 1,080円
豚肉に神崎味噌と醤油麹ベースのタレがかかってます。
小鉢が納豆、冷奴、豆腐とキャベツの味噌汁。
正直あんまり期待して無かったですが美味しいです。
豚肉にかかった味噌麹ソースとレモンの組み合わせが抜群。
納豆プリプリ、味噌汁も変わった風味の味噌が美味しいです。
隣の席でとんかつ食べてましたが、そっちも美味しそうでした。
昼食終わって利根川沿いに千葉(自宅)向かって走行。
時間はまだ昼の一時過ぎ。
このまま帰るのも味気ないし、成田山に寄るのもめんどくさい。
どっか寄り道するとこないかな?と利根川眺めながら考えます。
あぁ~利根川は雄大ですね。川岸が自然な感じで良い景色です。
利根川が千葉と茨城の県境なので向こう側は茨城県ですね。
この一帯は通称チバラギと呼ばれてます。
考えた末に酒々井にある宗吾霊堂に寄ることにしました。
千葉市の自宅への帰路の途中だから都合良いですからね。
田んぼだらけの田舎道を20分位走って目的地到着します。
宗吾霊堂に来るのは十数年振りになります。
梅雨が明けてメチャメチャ暑いです。
宗吾霊堂
ホントの名前は東勝寺といいます。
千葉では皆知ってる佐倉宗吾という義民をお祀りしてます。
話は江戸時代、木内惣五郎(佐倉宗吾)ら6人の名主たちは当時ここを治めていた堀田氏の苛政により多くの農民が苦しめられいたことを幕府に訴えました。
しかし訴えは受け入れられず、木内惣五郎は当時禁じられていた将軍(四代将軍 徳川家綱)への直訴を敢行します。
おかげで農民の窮状は幕府に届き佐倉藩主堀田正信は改易になり領民は救われました。
しかし当時将軍への直訴はご法度です。
結局、惣五郎と妻は磔に。四人の子供たちも処刑されてしまいました。
自分と家族を犠牲にしてまわりの農民の生活を守った偉大なる
義民として千葉では崇められてます。
この話は広く伝わって歌舞伎狂言の題目にもなりました。
木内惣五郎(佐倉宗吾)と家族のお墓です。
仁王門
大きくて立派ですね~。
仁王門をくぐると本堂が見えて来ます。
境内も広いです。 あれ~こんなに大きかったかな?
本堂
デカいですね~
お参りしようと思たら財布を車に忘れてきたので慌てて取りに車に戻りました。
東勝寺は真言宗のお寺です。
桓武天皇の勅命により坂上田村麻呂が創建したそうです。
真言宗の本尊は大日如来ですが、この寺では佐倉宗吾が祀られてます。
神様になった義民ですな。
本堂の裏には大黒様が祀られてます。
大国町住人?としては大国様はお参りせずにはおれません。
佐倉宗吾の一代記館というのがあります。
人形で、その足跡を再現してます。私は前回の時に見たので今回はパス。
奥之院
これは比較的新しそうです。
薬師堂
幟に大聖歓喜天と書いてあります。
歓喜天をwikiで調べるとインドの神様で像の姿をした神様らしいです。
ヒンズー教の神ガネーシャと同じ起源を持つ神様らしいです。
坂上田村麻呂の持仏だそうです。
池の向こうにあるのは鐘楼です。梵鐘は1311年(鎌倉時代)の作だそうです。
梅雨明け猛暑で大汗かいての御参り。
グッタリしながら帰路につきました。
大体100kmチョットは走ったのでバッテリー充電は取り合えずオッケーですね。
次に千葉に戻るのはお盆休みの12日になります。
今年は私の母と嫁さんのお父さんの初盆が重なってます。
奈良と千葉でダブル法要なんですわ。
こればっかりはね。
休みは5日しかありませんが、メンドクサイとか言ってられませんからね。
南無~~~~