あの

色々

書きたいことがあったが

最強最良のドラッグのせいで

頭がぶっとんでおりますですはい

例えば

僕は昨日まで

あるビジネスホテルのフロントで

アルバイトをしていたのですが

辞めまして

今月からは

ツタヤで働くことになりまして

それだけです。

園子温

NHKに出ていましたねー

園子温

意に介さずですねー

表現者

成功した表現者は忙しいです

忙しいのはありがたいのです

くそなのは

忙しいのに

忙しく働いたのに

まるで本当に死んでいるかのように

結果に反映されないのがむかつくんです

そうですよね?

結果はいつも残酷ですか?

予期せぬプラスは誰かを不幸にしていませんか?

僕に明日は来るのですか?

輝かしい明日は来るのですか?

チムポムは芸術家ですか?

ただのヤリチンヤリマン集団ではないのですか?

園さんはヤリチンですか?

芸術はそんなに素晴らしいものですか?

芸術は普遍ですか?

僕に明日は来ないのです。

明日は明日だから。

僕に50年前は来ないのです。

タイムマシーンがないから。

かっこ悪くては駄目なんです

ただの悪戯書きはただの悪戯書き

使ったものの代償は

払わなければならないのです。

不幸として

拭こうとして

拭いてきれいにしてまた自分で汚すんです

今寝たら丑三つ時に起きます

それでも寝たほうがまだましです

俺に明日が来るのなら。

やっぱし面白かったぜ!

ウダイ兼ラティフ役のドミニク・クーパーが俺の友達に色々な所で似てて(しかも2人に似てる、というよりその俺の友達を足して2で割るとほとんどドミニク)、なんだか勝手に吹き出しそうになることがたまにあったけど…

そんなことではなくて

独裁政権、独裁国家のミクロ学的な感じが個人的にとても面白かったー

結局、人は、人と接することによって日々の生活を送るわけで

いくらテレビでメディアがこーだったあーだった叫んでも

俺含め、想像力をあまり持たないちょっとバカである民衆は

「あ、そうなんだぁー」ポカーン

くらいにしか思わないんだよな。

でも、そこでこの映画みたいに史実を基にして色々脚色しながらもリアルに迫る物を作ってもらえると

私のような凡人にはとてもありがたく

それこそこの媒体によって想像力を刺激され

セックスあり、殺しあり、拷問あり、要するに何でもありをしっかり映してくれると

いかに独裁政権というものがイカレているか、いかにフセイン政権がイカレていたかが非常によくわかる。

とかく私は思いっきりゲーム世代なわけで

おそろしいかな悲しいかな

湾岸戦争や

第2次世界大戦時の

ミサイルビュンビュン飛ぶ映像も

正直ゲーム映像とかぶるんですよ。

まるで現実に思わない。

私の脳みそは戦争や殺しに関してそういう構造です。

そこで、このような映画が出来る。それを観る。

すると、この俺の馬鹿な脳みそにもガツンと来る。

ネタバレですが

ウダイがベンツで登校中の14歳の女の子をナンパ(拉致)するシーンなどは

そしてその後の、ある意味ではとても単純な展開ではあるが、色々あって死んじゃったその女の子を広い荒地に捨てるシーンなどはとても印象的なわけです。

事実は小説よりも奇なり

なわけで

実際のフセイン一族の生活を

この凡夫はここから想像するわけです。

この一族がいかにイカレていたかを。

さらには、それを取り巻く世界の主要大国の嘘くさい態度についても俺は考えた。

正義?

けっ、それは勝ってる奴だけが叫ぶクソワードさ。

とにかく、この映画は面白い。是非観ていただきたい。想像力の足りない人には特に。
私は、女性は、生来的にその容姿には美をたたえているとは思います。

しかし、美少年と美少女という比較において、あるいは、時として、少年の方が美しいという事が有り得るのかも知れません。

そしてそれは容姿に限ってはならない。精神の清潔さ、素直さなどの諸々の精神の聖なる側面も含めてのその比較においてです。

肉体から感じる美しさは、それこそ感じ方は十人十色であって、細い体を美しいと思う人もいれば、逆に太い体を素敵だと感じる人もいるでしょう。

しかし、オリンピックに出場するような一流アスリート達を除き、確実に言えるのは、男性と女性では相対的に女性の方が軽く小さいということ。

そして体力も男性の方があるのが常でしょう。

女性に対して、弱いものに惹かれるわけではないが、放っておけない気持ちが沸いてくる。

こんな気持ちになることが私はあります。

この気持ちは、子犬や赤ちゃんに接するときに沸いてくる感情に似ているように思います。

守ってあげなければ、という正義感のような感情、そして、ある程度において、その守られるべき存在よりも私には力がある、というその感情から発生してくる自己肯定感。

身体能力においては女性に勝ることの多い男性は、このような感情を持つことが女性より多いのかも知れません。

このように、自分よりも弱いものを守るという意識、では、この意識を、ここからは相対的弱者保護意識と呼ぶことにします。この相対的弱者保護意識を前提として、土台として、その対象を慈しむ感情、もしくは、ある種の愛が生まれるということが考えられます。


さて、それでは、生来的に細い骨格、細い体型を持って生まれてきた男性が、より弱い存在、つまり、現代において大多数の女性がしているような(現代社会において、女性の恰好として社会的に認知されているような)恰好をすることによって、他の男性の深層心理にある、相対的弱者保護意識を喚起し、この意識を芽生えさせられた男性が、女装をしている男性に慈愛感情を持つということは十分に考えられることでしょう。

さらに、女性の体は、身体や脳の構造上、男性よりも脂肪を多く蓄えられるようになっています。したがって、標準的な体脂肪率なども女性の方が高く設定されています。

つまり、特定の部位、例えば二の腕や太ももなど、に関して見ると、女性の体は脂肪が多く、時としてたるんでいる印象を相手に与えるのに対し、脂肪の少ない男性の体はシャープで綺麗であるという印象を与えることが十分考えられます。

女性の身体のふくよかさは女性の柔軟性をとても美しく表していると思います。

しかし、彼女が少女である場合はどうか。

これも感受性の違いが出る所だとは思いますが、私に関して言えば、少女は「丸い」よりもむしろ「細い」方が美しく感じます。

やはり念のため記しますが、ここでの美しさの意味は、必ずしも性対象としての、という意味を含みません。

美少年、美少女に関する今の考察は、純粋に、例えていうならばキリスト教における聖処女マリアに関する考察と類似します。

身体的にも精神的にも清楚で潔白で美しく、そして自分よりも弱く小さい存在を守るという意識。

この意識から生じる慈愛。

女装の文化からは、なんだか、少し複雑ではあるがとても深い文化性を感じます。