皆さん、こんにちは!

伊藤敬佑です。

 

 

諦める」と聞くと、どんなイメージを持ちますか?

 

 

日本語で”諦める”は放棄、断念、ギブアップなど、

マイナスイメージで使われることが多いと思いますが、

漢和辞典で「諦」を調べると悪い意味はひとつもありません。

 

つまびらかにする。いろいろ観察をまとめて、

真相をはっきりさせる。まこと。

 

また、仏教用語に「諦観」という言葉があります。

 

諦観とは、

「 本質をはっきりと見きわめること。」や

「あきらめ、悟って超然とすること。」

の意味があります。

 

 

 

「あきらめる」と聞くと、「何かを断念する」と連想してしまいがちですが、

この言葉はやはり「はっきりさせる」が本来の意味です

 

そもそも「あきらめる」とは、「あきらかにみる」が変化したものです。

 

 

では、一体何を「あきらかにみる」というのでしょうか?

 

 

今日は、そんな「諦める」の本当の意味について解説していきたいと思います!

 

 

 

何を「あきらかにみる」のか?

 

何をあきらかにみるのかというと、それは…

 

真理をあきらかにみる」ということです。

 

 

大宇宙の真理である因果の道理をあきらかにみるということですが、

もう少し補足すると、「物事の因果の道理を明らかに見る」となります。

 

 

何か悪いことが起こったり、叶えたいことが叶わないことに対して、

現状に腹を立てたり、自分の不遇を嘆いたりしてしまいますよね。

 

 

 

でもただそれだけではなく、「なぜそのことが起こったのか」

「叶わないことに何か意味があるのではないか」

「叶えることのできない自分とは何か」と

物事のすべての原因を明らかに見ることが大切なのです。

 

 

 

「諦観」するための4つのステップ!

 

さて、「諦める」について理解したところで、

次に、どうやって諦めれば良いのか、

そのための4つのステップをご紹介します。

 

 

1. 失敗を真正面から見る。
2. 言い訳したりごまかしたりせず受け入れる。
3. 対策を立てる。
4. 実行する。

 

 

この「実行する」までやることが大切です。

 


「あきらめなさい」と言われて、やめてしまったら、
進歩も向上もありません。

 

仏教では、まかぬ種は生えませんが、
まいた種は必ず生えると教えられています。

 

 

悪い結果を、忘れるのでもなければごまかすのでもなく、
根本的な原因を明らかに見て、悪い種まきをやめて、
少しでもいい種まきをしようというのが「諦観」なのです。

 

 

 

 

「諦観」をマスターして真の努力家に!

 

この諦観を心がけると、
反省が深くなり、向上心が強くなり、反省と向上を繰り返す、
たくましい人生観が開けてきます

 

 

だから仏法者は、世間一般で言われる「諦める」とは180度正反対の、

真の努力家になるのです。

 

 

諦観」は仏教用語の枠を超えて、私たちに、正しいものの見方、

考え方を教えてくれる極めて合理的な概念です。

 

物事の原因をあきらかにすることは、自分の在り方、

考え方を明らかにすることに直結します。

 

 

日々、因果の道理をあきらかにみて、「諦観」を実践してゆきましょう!

 

 

 

 

 

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