今回は、西陣とは切っても切れない女性のことをご紹介してから、その方のイメージにピッタリの『西陣織』の帯をご紹介します![]()
その方のお名前は「桂昌院(けいしょういん)」。
寛永5(1628)年、西陣の八百屋の次女として生まれ、名を「玉(たま)」といいました。
八百屋の主人は、朝早くから夜遅くまで野菜を車に積み、機業家が多い西陣の町を廻って商いをしていました。
そんな中、心のなぐさめとなったのは、織屋の格子戸からもれてくる『機織(はたおり)』の歌でした。
「トンカラリ、トンカラリ
」
機音に混じって女たちの歌声が、織り出される優雅な紋織(もんおり)のように耳に響いてきますー![]()
ある朝、レンコンを買ってくれた機屋のおかみが、珍しく車についてきた娘の髪をなでて、
「おやまぁ 可愛い娘やな。 『機織り』の歌を歌うてるやあらへんの。」
と、娘の可愛らしいいまね歌に微笑しながら、手製のおこしを一包くれました![]()
娘は得意になってさらに『機織り』の歌を歌いながら、父の車について町を流していきました。
やがて、まだ9歳になったばかりの「お玉」は、機織り娘として出発することになったのですー![]()
織屋のおかみさんは自分の娘のように可愛がってはくれましたが、寝泊りは親の元を離れ、織屋の奉公人としてきっぱりと始められました。
出来るだけ幼い頃から自分の子供のようにして育てつつ、技術を修得させることを考えたためです。
4,5年も経つと腕も上がり一人前となったお玉は、いい織物と悪い織物の見分けがつくようにもなってきました。
そして、関白二条家に命じられた敷物を精魂込めて織り、気に入られたことがきっかけで、二条家の「鷹司孝子」に仕えることとなりました。
これが大きな転機となり、「孝子」が「将軍家光」に入嫁するのに伴われ、江戸城に入り大奥で仕えるようにー。
やがて、「春日局」に認められ「家光」の側室となり、後の五代将軍「綱吉」を生んだのです![]()
「桂昌院」は、終生神仏を敬い、「今宮神社」が極度に荒れ果てていると聞いては寄進や色々な心配りをし、郷土京都の為に尽くしました。
また、衰退の途にあった『西陣機業』の保護の為「家光」にとりはからい、都度の危機を抜ける為に多くの功績を残したとも伝わっています。
「今宮神社」は『西陣織』の発祥の地である西陣地区の氏神として信仰されており、その境内には、西陣織業者が創始した『織姫社』があります![]()
また手水舎は、『お玉の井』といって1694年、「桂昌院」により寄進されたものです。
そしてそして、御朱印帳は「桂昌院」の実家の商いから野菜の柄になっているんですよ
(色違いも有り)
この「今宮神社」は八百屋の生まれから身を起こし、将軍の生母にまで昇りつめた類まれな女性「桂昌院」が崇敬していたことから、別名「玉の輿神社」
とも呼ばれ、若い女性たちがそのご利益を求めて参拝されてもいるようです![]()
さて、今回ご紹介するのは「桂昌院」さまのイメージにピッタリの「桔梗(ききょう)」柄の帯です![]()
「桔梗」は秋の季語ですが、開花時期は6月~9月頃で、まさに今満開の時期を迎えています。
花言葉は「永遠の愛」、「変わらぬ愛」、「誠実」、「気品」。
「気品」というのは、つつましやかな和装の女性を思わせることからついたようです。 素敵ですよね...![]()
こちらは単衣(ひとえ)用の袋帯で、白地と黒地の2種類あります。
柔らかで大変軽く通気性も良いので、単衣の時期にストレス無く、締めていただくことが出来ます。
写真では分かりにくいのですが、白地は花弁のところにわずかに『銀色糸』が入っていて、地の透かし模様の「桔梗」は白なので、大変爽やかで涼し気、上品で優しいイメージです。
一方の黒地の方は、素材は白地と同じ(絹90%、ポリエステル、レーヨン10%未満)ですが、「桔梗」の花弁や地の透かし模様に『金色糸』を使用している為、上品な中にも金色の光沢が豪華な印象です。
分かり易く言えば、白地は「昼」、黒地は「夜」のイメージでしょうか...![]()
どちらも、それぞれに素敵でおススメです![]()
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