日曜日14時からフジテレビで放送「ザ・ノンフィクション」を観た。


副題として「私のママが決めたこと 命と向き合った家族の記録」とある。


子宮頸がん罹患から数年で膣、膵臓、肺、頭皮、脳に転移した44歳の女性の決断に密着したもの。



かなり前の映画だが「男たちの大和」に長嶋一茂演じる白淵大尉が若い乗組員に対して講義するシーンがあった。

黒板には「死ニ方用意」と書かれて、その日を迎える若い軍人の生き方を問うた。


おそらくその時に初めて意識した「死に方」なのだが、人間の致死率は100%だからこそ生きることそのものが死に方になるのだなと朧げながら感じた。



ザ・ノンフィクションではスイスに渡り自ら命のピリオドを打った女性とその家族を追っていた。一度は取材を断ったとのことだが、いよいよの決断をした時に自ら取材を受けると連絡したそう。


脳と頭皮に転移して左目の視力はほとんどなく自分が自分でいられるうちに、というのが決断の一つの理由だとナレーション。


成り行き任せにはしない決断はかえってご自身の存在感へのこだわりにも感じられた。(私の感想)

お世話になった方へのたくさんの手紙や、2人の娘への節目に渡す手紙、料理のレシピなど生きた証をたくさん残していく。



出かけていた我が夫が帰ってきたので、このテレビの話をした。

すると「クリスチャンの倫理的にオッケーなのかな」と制度そのものへの疑問を呈し、「おや、確かにそうだな」と調べてみることにした。


安楽死、自さつ幇助、尊厳死、このような言葉がある。このザ・ノンフィクションも安楽死を取り扱ったものだと思い込んでいた。


当該女性が自分の最期を迎えるにあたり、薬の入った点滴のバルブを自らのペースで自ら開け、自分でやるの!?と驚いた。

彼女が選択したスイスは安楽死は認められておらず、自さつ幇助の制度が認められていることが調べてわかった。

やはりここに信仰の倫理観が影響していることも

わかった。


長くなるので続く。






にゃおす😽

ケビ子