先日、知人の夫婦喧嘩の話を聞いた。

夫婦共働きで子供は小学生が2人。

やりくりしながら家事の分担をしているとのこと。


ご主人は今年転職して資格試験やら慣れない環境やらで疲れているのは知っていたから奥さんは家事がおろそかでも目をつぶっていたのだそう。

生活が落ち着き、試験が終わったから以前のように家事の分担などができると思っていたのに。


ご主人は帰宅して着ていた服を脱ぎ散らかし、妻が子供の面倒を見ながら食事の支度をしているところ先に風呂に入るのだという。


食事をすれば自分が出した醤油をしまわず出しっぱなし。

このような日々が続き、奥さんが切れたとのこと。


どちらの気持ちもわかるようで、大変だねぇと我が夫と話をした。

すると調子に乗った夫はこんなことを言い出した。

「俺だって我慢している。君がベッドの横に脱ぎ散らかしたマグソのような靴下を避けながら掃除機をかけてるんだ」


マグソ?


ここで、思った。

「何よ!私だって普段家事やってるんだから!」

と応戦する気に全くならない。

なぜならマグソってなんだろうか?とそればかり頭をめぐって、以降しつこく夫にマグソって何?と問い詰めて頭の中はマグソでいっぱい。


マグソ


こう書いてもなんら感情が沸かないほどに知らない言葉なのでなおさらだ。


夫「マグソって言わないの?福島だけかな?なんかとにかくそういうこと」


福島の人を道連れにしてマグソを誤魔化す夫である。排泄物の様子を捉えてそのように呼ぶことがあるのだと言う。


マグソ


毎度我が家が大きな喧嘩にならないのはおそらくこれだ。

怒りの感情に集中できない私のせい。

ついちょっとしたことに気を取られてムッとしていたことを忘れてしまう。


逆に言えば喧嘩が多いのは、感情への集中力があるってこと。いつまでもおさまらない怒りへの集中力。


そんなことをマグソに教わりました。


弁解すると、夫がマグソと呼ぶ靴下はお風呂から出た後から寝るまでのほんの数十分履いた靴下をベッドの足元に脱いで置いたもの。

脱いだままの状態がマグソに似ているのだろう。



これは靴下



にゃおす🐈

ケビ子