我が根底にある精神よ…
とゆーわけで、本日はギブアンドテイクについて
生まれついてから、なぜかギブアンドテイクという精神が染み付いていて、そのまんま22歳くらいまで生きた時、世の中は、そんな綺麗事で成り立っているわけではないんだ…という絶望を、知る。
ギブアンドテイクという行為は、「信頼」という概念なんだと感じていたのだろう。
おこがましい考え方だとか、そういうことを抜いておいて、何かを与えたとしても、何も返ってこないことがあるのだということを知る。
むしろ、何かを与えられていたという事実自体がなかったこととして扱われることを知る。
それが現実で、そんなものなんだと思えるまで、裏切られたという気持ちと、相手を打ちのめしてやりたい気持ちに襲われた。
これは「信頼」というものの定義なのか。
はたして、誰かのために、何かをするということは、見返りを求める行為であり、自らの生に、保険をかける行為でしかないのではないか。
そう考えれば、誰かのために何かしても、受けた方は、それ自体、与えられたこととして認識できないのは当然である。
そう思えた時に、自分が他人のために何かをすることは、自分が勝手にやっていることであって、自らの生にとっては、やる必要がないこと(意味のないこと)だと割りきった。
はたして、これは正しいことなのか…?
一つ言えることは、それがギブアンドテイクという概念なのか。
いつの時代も、与えるものが強く、与えることが出るということは、余剰財産が多いということであった。
そして、今回、キブアンドテイクアウトという題名で書かせていただいた通り
俺は人のために生き、人は、その個人のために生きることが当たり前なのだと知る。
つまり!!!
ギブアンドテイクなんて、ないのだよ!!
あなたがしたければ、すれば良い!!
あなたがしたくないのなら、しなければ良い!
結局のところ、我々に帰ってくるのだから、受け止める覚悟があれば、それでよかろう。
さいごに
人生は
色即是空