子供が不登校になってから、
子供を通して出会う人が変わってきました。
今までとどう違うのでしょうか。
一番違うと思うことは、
「自分に正直に生きていると感じる人」に
出会うことが多くなって来たことです。
私は自分のネガティブだと思っている感情
たとえば、
「無理だ。出来ない。嫌だ。苦しい。辛い。やりたくない。」
を出すことは、
わがままだと感じていたり、
みっともないと感じていたり、
幼いと感じていたりしたので、
それを出すことを禁じていたし、
感じる事も禁止していたんですね。
だからそれを出している人とあまり出会うことがなかったし、
無意識にそういう人を避けていたんですね。
でも子供が不登校になって、
自分と向き合って行くにつれて、
今まで出会ったことのない人達と、
出会うことになっていきました。
「楽しいじゃん。やろうよ。なんとかなるよ。
それは嫌だね。自分でやりなよ。手伝わないよ。」
そういう発言をする人達です。
最初は戸惑っていたけど、
だんだん、楽になって行きました。
それはどういうことなんだろうと考えたとき、
自分の感情をストレートに表現して、
社会からどう見られるかよりも、
自分がどうしたいかだったり、
自分が楽しいと思うことを
やっている事って、
それってわがままでも、
みっともないことでもなくて、
自分に正直なんだって
わかってきたんです。
私は周りの目を気にして、
自分の本音を隠して、
自分の良いと思う部分、
自分が自分に対して許可した自分だけを表現して、
駄目だと思った部分は表現していなかった事に
気付いていきました。
だから子供が苦しくなっていったんですね。
私は自分が良いと思う部分しか、自分を認めていないので、
それは子供に対してもそうなってしまうから。
私が良いと思う部分しか表現しない様に、
子供にも同じように悪いと思う部分を
表出させない様に求めてしまうのです。
子供は素直で愛情深いから、そうしようと努力します。
お母さんを喜ばせたいからそうします。
でも限界がありますよね。
苦しい事や悲しいこと、辛い事、沢山あると思うんです。
でもそれを表出出来ないって、
苦しいですよね。
出来た事、嬉しい事、楽しいこと、
それしか表現出来ない。
お母さんが良いと思う部分しか受け入れてくれないって、
本当に苦しかったと思います。
子供からしたら、
条件付きの愛ですよね。
他人の目を気にして、
こういう自分でいないと駄目だとか、
こう見られていないと馬鹿にされるとか、
世間的に認められている形の人である事で
まわりから後ろ指指されない親であろうとしている事って、
素の自分だと認められないって思っているって事なんですよね。
本来の自分で生きることを禁止しているっていう事なんですよね。
自分の人生を歩けない、
それが、私の苦しみだったんだって、
子供の不登校を通して私は知りました。
出会う人が変わってきたと感じたのは、
自分の内面が変化してきたからで、
自分のネガティブな部分を受け入れることが出来たからで、
自分の否定していた部分を
自分のものとして認めることが出来たからだと思います。
意識が現実を作っています。
自分の中で否定しているものは、
現実社会でも否定してしまうのです。
自分のネガティブな感情を否定していると、
現実社会でも周りの人がネガティブな事を話していると感じると、
その人達を否定して、
見たくないから、
無意識に遠ざかるのです。
でも、
自分のネガティブだと感じている感情も
自分のものだと受け入れることが出来ると、
同じ状況でも、
「そういうことあるよね」
って否定せずに、
ただあるって思えて、
遠ざかる必要はなくなるのです。
だから
自分にかけた禁止を解いて、
自分のネガティブな感情を受け入れて、
どんどん楽になっています。
やっと自分らしさを自分で感じていけるんだって、
ワクワクしている自分がいます。
私は子供の不登校を通して、
私は自分が何を否定しているのか、
自分が自分をどう扱っているのか、
何が自分の苦しみなのかを
知る事が出来ました。
だから、それに対して、
どうしていけば良いのか
わかるようになりました。
今、子供が不登校で辛い方、
目の前に今苦しい状況があるかも知れないけど、
心配しないでね。
絶望しないでね。
それはあなたの奥底に眠る本来のあなたからのメッセージだよ。
自分にかけた禁止を解いて、
自分の色んな感情を受け入れて、
本来の自分に目覚めて、
本来の自分の人生を歩いて行きましょうね。
