私のご近所に父と同級生だったおばさんが長年独りで住んでいらっしゃるんだけど、おばさんといってももう90歳に近い。このおばさんはかなり個性的な人で、昔から気が強くて、自分が正しいと思ったことを容赦無く相手に伝えたりするので、気分を害する人も多く、町内でもちょっとした有名人なのだ。
私が小学生の頃など、時々道端で出会ったりすると説教めいたことをよく言われていた記憶がある。すっかりオッサンになった私だけど、今でもお会いするとちょっと緊張してしまう。今までは挨拶程度でそそくさと退散していたのだけれども...。
そういう人だけど、さすがにご高齢でしんどくなってこられたようで、最近になって私に家の石垣の草むしりや、ゴミ出しを頼まれるようになった。生前、父が同じように時々草刈りを頼まれていたので、私が後を継いだような格好かな(苦笑)。まぁ、少なくとも私たち家族とは何十年の付き合いなのでおばさんと特にトラブルもなくやってきたし、頼み事をされて無下に断るわけにもいかず、私も性格上、頼み事をされると断れない現代のご時世向きの性格ではないので快く承諾してしまうのだけどね。
考えてみると、私のご近所はアパートや新しく家を建てて引っ越して来た若いご家族などが増え、古くから住んでる人も皆さんよいお歳になり自分の生活で精一杯という感じである。おばさんにとってみれば、気軽に頼れるのが私のところぐらいなのである。
私は長年介護の仕事をしているので、高齢者のお気持ちは多少理解しているつもりなので、これも人助けかなと多少使命感みたいな気持ちがあるのも確かだ。おばさんは、まだ一人暮らしができるレベルなので、今後気を付けて見守って行かなきゃいけないかなと考えたりしている。
私が気になっているのは、世代間の断絶を強く感じていることだ。若いご家族などは、顔を合わせても挨拶もナシ。ガン無視である。私だけにそうされているのなら大してかまわないが、ちょっと残念な気持ちはするな。警戒されているのかもしれないけれど。「困った時はお互い様」とは既に死語で昔の古い考えなのだろうか。都会では、隣の人に会ったこともなく顔も知らないというのは以前からあったけれど、地方もそういうことが当たり前になっているのだろう。何かと物騒な世の中だから仕方ないのかな。でも、昔には昔ながらのいい事もあると思うんだ。
それにしても、高齢者にもう少しリスペクトがあってもいいような気はするなぁ。今の日本があるのはこの方達のおかげなのだから。もちろん、高齢だからっていい人ばかりではないけれど、そういう人もひっくるめてこの国は回って来たのじゃないだろうか。少なくとも”老害”て言い方は余りにも悲し過ぎるよ。
未来が不確実な世の中だからこそ、寛容さが大切だと思うんだけど。きれい事過ぎるかな?
