東大が学費を値上げするというニュース。東大に限らず、これまで学費の値上げが行われた学校が多数あるという状況。学費の値上げに関しては多くの方が意見を述べられているし、私のアタマと文章力では説得力のあることは書けそうにないので、昔のことであるけれども私の場合の経験を書いてみようと思う。学費で悩んだ一個人としての話なので一例として目を通して頂ければ幸いである。

 

 三十数年前、私は地方の普通科の高校生だった。私の家庭は経済的に苦しかったので大学に進学できる状況ではないと分かっていたけど、当時の大学受験制度だった共通一次試験を受けた。結果、自身の不勉強もあり大学受験は惨敗であった。世の中そんなに甘くないのである。もし合格していて国公立大であっても学費を払える当てもなかったわけで、私はその頃将来のビジョンを具体的に持てずにいて、せめて受験して一矢報いるみたいな思考だった。そもそも大学に行けないと分かっているのに、勉強に身が入るはずがないことは必然といえば必然である。特待生や推薦されるぐらい猛勉強すればいいではないかというご指摘もあることだろう。高校生だった私に甘えがあり、努力不足ではないかと言われれば否定はできない。

 

 本来なら高卒で就職せねばとなるところだけれども、もう一度だけ挑戦してみたいという気持ちがどうしても捨てきれず、予備校に行くことを考えたけど、やはり学費が払えない。なんとかして学費を工面できないかと駄駄を捏ね、あれこれ思案して調べた結果、「新聞奨学生制度」なるものがあることを知った。新聞配達をする代わりに学費を肩代わりしてくれ、住む所も用意してあるという制度で、続けるなら大学の学費も出してくれるという。

 

 「これだ!」と、願ったり叶ったりの方法ではないかとその時はまるで雷にでも打たれ、身体中に電気が走ったような気がしたものだ。親にも迷惑をかけない方法はこれしかないと思った。

 

 もうひとつ、私はどうしても東京に行きたいと考えていた。違う世界を見たいという欲求も強かったのだ。後先を考えもしていなかったのだけれど、今思うと若気の至りである。

 

 かくして私は先生や家族の心配をよそに新聞奨学生として上京したのであった。出立前、親戚の伯父さんがかけてくれた言葉を今でも覚えている。

 

 「まぁ、これも冒険だと思って行きなさい。」その一言のおかげで、意地を張ってはいたものの、実のところ不安でいっぱいだった私の気持ちが次第に勇気へと変わっていくのを感じたのは確かだった。 

 

 

Part2へつづく。