私の母は80歳をとうに越えたお年寄りである。いくつも病院通いはしているけれど、今のところ介護サービスを利用することもなく過ごせている。母は苦労の多い人生だった。母にとっては今が一番幸せな時期を日々過ごしていると思う。

 

”親の心子知らず”というけれど、私が社会人になった頃、ようやくこの意味を実感したことを覚えている。オッサンになった今の私は、”母の偉大さ”を強く感じるようになった。別に、母が社会的に成功しているとかそういう事ではない。もっと人間的な人生哲学的な意味でである。

 

母は演歌や歌謡曲好きである。私は、地元に母の好きな歌手が来る時には、母への感謝をこめてコンサートのチケットを買っている。何しろジョークみたいに薄給な私なので、いい席は取ってあげられないけれど。チケットを買う時は母が親しくしている友達の方の分とペアで買うことにしている。その方にもいつも大変お世話になっているので。正直言うとこの物価高で二人分のチケット代は懐には厳しいものがあるけれど、毎回、楽しかった、すごく良かったと喜んでくれるので私も気分がいい。

 

施設の利用者さんはそれぞれ、いろいろな家庭の事情を抱えていらっしゃる方ばかりだ。子供さんが経済的に余裕のある方は、旅行に連れて行かれたり、そうでない方でも家族にすごく大事にされていたり、本当に人それぞれだ。子供さんが家庭を持ち、年配者になっていても、子供にご飯を作らなきゃいけないので帰してくださいと訴える利用者さんも意外と多い。いくつになっても親は親なんだなぁと実感させられる時である。

 

私は今まで長年、介護職で多くの人をお世話してきた。オッサンになった私は、今まで、自分の親には何もしてこなかったのではないかと、次第に自責の念に駆られるようになった。私が、母にコンサートのチケットを買うようになったのも、そう言う思いがあったからだ。私の勝手な自己満足か罪滅ぼしのつもりなのかもとそれはそれで、自己嫌悪に陥ったりするんだけれど。母が元気だとはいえ、流石に衰えも見え始めたと感じるようになったので、私の焦る気持ちもあると思う。

 

私は、果たして親孝行めいたことをしているのだろうか?近頃の私は、そういうことを考えながら生活している。