私はハゲである。故に床屋の話をするのはどう転んでも笑い話である。でも、いくら私でも一応人間だから最初からハゲていたわけではない(笑)。今回は自虐的記事なのでご了承を!
私はいわゆる若ハゲだったので、当時は心無い誹謗中傷などでつらい青春時代を過ごし、私の人生において影響を受けていたのは確かではある。早いうちに気持ちの切り替えができればよかったのだろうけど、私の性質上それは難しかったように思う。今では、ハゲに関しては既に悟り?!をひらいているので多少バカにされても受け流すことができるので平気である。
私は幼い頃からずっと美容室ではなく床屋で散髪をしてきた。昭和生まれの男性ならこのパターンが多いのではと思う。美容室に通いだすのは私の世代の場合一般的に中高生の年齢くらいからではなかったろうか。
こういうわけなので私は美容室に関しては事情をよく知らないので床屋に限っての話題で、まだ私に髪の毛がフサフサだった頃からの話である。
要するに何を言いたいかというと、
「床屋で散髪して一度も満足した髪型になったことがない!」と。
他にもこういう経験をしている人は以外と多いんじゃないかなと私は勝手に推測している。
散髪してもらうにあたって、私の要望がうまく伝わらないことが多かったのも要因の一つじゃないかと思う。もっと細かい要望を伝えていれば結果は違ったのかもしれない。床屋も職人であるから、ある程度は汲み取ってうまくやってくれるだろうという期待もあったし、私は元来小心者なので相手に対してあまり細かい指示を出しても申し訳ないなと遠慮していた部分もある。しかし、何度散髪しても毎回納得が行かない結果に終わるのだ。おかげで、ドクターショッピングならぬ、満足できる髪型に切ってくれる床屋を探してあちこち行脚したものだ。散髪の理想郷、アルカディアを探して。
結局のところ、オッサンになった現在に至るまでその理想郷には辿り着けていない。
私の今のハゲ方になると、もはや髪型うんぬんより何処の床屋に行こうが仕上がりに大差はないので、散髪代が床屋選びの基準となってしまった(笑)。もういっそのこと坊主にすればいいじゃんというご意見もあろうと思うけれど、頭の形があんまりよろしくない私は、デンゼル・ワシントンやジェイソン・ステイサムみたくなりようもなく僅かに残った髪の毛に拘っているのである。うーむ、これはどう考えても悟りの境地ではないな・・・。
でも、私にはずっと一つの信念がある。それは、絶対にカツラにはしないということ。私の若い頃、当時のかつらメーカーのCMは露骨な表現でそれはそれはひどいものだった。なので、絶対に彼らに屈服したくなかったのだ。まあ、そもそもカネもかかるし。今でこそCMの表現はトーンダウンしているみたいだけど。
実は今でも時々道端ですれ違いざまや信号待ちの車の中からバカにされることがあったりするけれど、多くの男性という生き物はいずれハゲる運命にあるのだ。女性も例外ではない。人によって違いはあるけれど。誰も若いうちは分かってないから、からかったりする訳だけど、松本零士先生の「時間は決して裏切らない」という名言がある。そう、時が来れば大体の人は禿げるのである!
ふざけてるのか真面目に書いてるのかわからない文章になってしまったけれど、もし江戸時代とかだったら少しはモテていたかもね。ちょんまげはハゲにベストなヘアースタイルだから。なあんて考えたりする(笑)。また流行るってことあるかな。ンなわけ無いか(笑)。
以上、自虐全開の記事で恐縮でござった。
