「東京はこんなもの。住めば都というでしょ。」新聞販売所の奥さんが、私の住むことになるアパートの部屋を見せそう言った。私が上京し販売所を訪ねた日だった。
「狭いなぁ」と呟いた私に奥さんが答えた言葉だった。古い木造モルタルアパートで、1階が中華料理店。部屋はその真上の2階にあってきっちり四畳半。炊事場、トイレは共同。風呂無しなので近所の銭湯に通うことになる。
東京だからと思っててっきり新聞販売所はビルを想像していたけど、普通の小さな一軒家だった。入り口のサッシを開け、出てきた所長の姿は丸坊主で口髭を生やし、眼光鋭い長身のおじさんだった。まるでガラの悪いチンピラのようにしか見えなかったので私の第一印象は「これはヤバい所に来てしまった」だった。めちゃくちゃ不安に思ったけどそれは杞憂であった。話してみると、普通に感じのいいおじさんだった。
こうして私の東京生活は幕を開けたのである。
販売所には全国から上京してきた学生が8人いて、3月いっぱいで契約を終える先輩の学生たちがマンツーマンで付いて仕事を教えてくれる手筈になっていた。
起床は毎日午前2時過ぎで、販売所に出向き、届いた新聞の山に折り込みチラシを手作業で入れた後、自転車に積み込む。私の受け持ち部数は300数十件だった。何しろ部数が多いので自転車のカゴにまるでバベルの塔のごとくうず高く積み上げねばならない。その様子を初めて見た時は大変衝撃を受けたものだ。私に付いた先輩は厳しい人だったけど、新聞の積み方や、積み上がった新聞を支えながらの自転車のバランスの取り方、配達コースなどきっちり教えてくれた。私は覚えが悪かったので余計に怒られていたけど。
先輩たちが販売所を去って独り立ちしたその日は、ツイてないことに東京は季節外れの大雪だった。何度も転んで地面に新聞をばら撒きながら、なんとか配達を終えたのは、10時ごろだったと思う。他の同僚も状況は同じだった。販売所はクレームの電話の嵐だったなぁ。
朝刊を配った後は食事を摂り、予備校に登校する。みんな電車賃を浮かすため、配達用のゴツい自転車で登校していた。早起きしているので私は授業中に居眠りばかりしていた。授業を終えたら急いで帰って夕刊の配達が待っている。夕刊を配ってようやく一日を終えるころにはいつもクタクタだった。
Part3につづく
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