高齢の方はアメ玉をよく持っていらっしゃる。年齢や薬の影響で口渇の症状があるからという理由もあることだろう。


 以前、施設来所の度にアメ玉を渡して下さるある利用者さんがいらっしゃった。もう10年以上といわず施設を利用して頂いた方で、通所のベテラン!?さんであった。この方は来所の度に職員に必ずアメ玉を手に包み込むようにして大事そうに渡して下さる。アメ玉一個をくれるのに大袈裟なと言う人もいたけれど、この方は心から職員に対して感謝の気持ちを持たれていたんだと思う。


 この方も戦争で大変なご苦労を経験されたひとりである。日本が敗戦し満州から船で帰郷する途中で乳飲子を亡くされ辛い経験をされている。日本に帰郷されてからも物資も食糧も不足する中での生活は大変だったとおっしゃっていた。でもその苦労も晩年は孫やひ孫に囲まれ「今がいちばん幸せ」とよく口にされていた。


 職員もよくこの方に助けて頂いたと思う。他の利用者さんのこともよく気遣って頂いて、介助が必要な方が立ち上がって危ない時など、直ぐに職員を呼んでくださったり、お話し相手もして頂いたり、色々な場面で助けて頂いた。ご本人も常に感謝を忘れない人で、数えきれないほど沢山の「ありがとう」の言葉を頂戴したものだ。


 高齢の多くの方は、抵抗なく素直に「ありがとう」と言う感謝の言葉を自然に発せられる。お若い時に大変な苦労をされ、人に助けられ、親切をするのもされるのも当たり前のそういう時代だったからかもしれない。


 私は、そのアメ玉一個にその方の優しさや感謝が包まれていると思いながら、いつもありがたく頂いていた。本来、施設ではお菓子の持ち込みややり取りなどご遠慮してもらうのが原則だけれども、言い訳になるけれども支障のない程度だったらと気をつけながら柔軟な対応をしているのが現状である。


 「優しさ」とは、ネットで検索すればその解釈は簡単に表示されるけれど、介護の仕事をしていて私はよく自問自答を繰り返して悩んでいる。自分が本当の優しさを持って仕事をしているのだろうか?単なる上辺だけなのではないか?この利用者さんのように本当に感謝の気持ちを持って行動しているのだろうか?と。


 それは他の人が客観的に見て判断されることかもしれない。ただ、自分でも日々この自問自答を繰り返しながら心がけて行くことは必要じゃないかと思う。この仕事を始めてから随分経つけれどまだまだ道半ばである。