私は毎回、その月の利用者さんのお誕生日写真を撮影してそれぞれにお渡しする担当をしている。と言っても、高価なカメラ機材で本格的に撮るのではなく、コンデジやスマホで撮るスナップ写真であるけれど。最近のスマホは人物の背景も簡単にボカすことができるのでコンデジの出番はめっきり少なくなった。利用者さんの中には撮影を嫌がられる方もいらっしゃるけれど、「一枚だけ記念にどうですか?」とお声かけすると案外承諾して頂けるものである。


 私はお誕生日の写真撮影には少なからず複雑な思いを抱いている。「遺影にするからね。」とおっしゃって撮影に臨む方がいらっしゃるからだ。毎年のお誕生日にそうおっしゃる方もおられたりして。その写真が実際に遺影に使われることが今までに何度もあった。私はプロの写真家ではないけれど、お誕生日の写真と言っても高齢の利用者さんにとっては重要な意味を含んでいるという思いがあるので、撮影はできるだけ自然な笑顔になられるように、そしてご本人さんが納得されるまで真剣に撮らせて頂いている。

 

 利用者さんの不幸があられた時、撮影した写真が遺影として使われ、ご家族から良い写真だと感謝のお言葉を頂くこともあった。ご家庭によっては遺影に使えそうな写真をお持ちでないことも多い。お役に立てたと安堵の気持ちもするけれど、やはり悲しい思いが勝ってしまう。


 そういうこともあり、私は次第に利用者さんのお通夜や葬儀には自分自身で落ち込んでしまうので行けなくなってしまった。親しい利用者さんが亡くなっても同じようにしているので、冷たい人間だと思っている人もいるだろうけど、私はいつも心の中で合掌させて頂くことにしている。

 

 私の父がガンを患った時、まだ元気なうちにと桜の季節に父を街の公園に連れ出し、遺影用の写真を撮ったことを想い出す。勿論、父には遺影の撮影とは言わずに。公園は桜が満開で華やかな景色だったけれども、その時の私の心中は物悲しさで溢れていた。


 これまで経験を重ねた事で、私は写真一枚の持つ重みを多少なりとも感じられるようになったのではないかと思っている。