毎日利用者さんと接していると、色々なことを教えて頂き学ばされることがある。

 

ある日、送迎車の中で先の日本の大戦の話題になった時のこと。話のお相手は、女性の利用者さんで学校の校長を務められ、まだまだしっかりされた方。私は話のついでに「人間性の根本は善でしょうか、それとも悪でしょうか、どう思われますか?」とお訊きしたことがある。その方なりのお考えを聞きたいと私が単純に思ったから。「私は”善”だと思いますねぇ。」とその方はすぐに応えられた。「以前同窓会の時に私に挨拶に来た教え子がいてね、その子と色々話したんですけどね。教師の頃、不良でとても悪い生徒で将来を心配していたんですが、その子が社会に出て立派に更生していてとても嬉しくて。教師冥利に尽きるなあと染み染みと思ったんです。」

 

私とその利用者さんとの付き合いは長く、私の浅はかな考えにもいつも自然体で接して下さる。私は、「メディアなどが昔はワルで、後に改心して成功者となった人を取り上げ、美談として扱うことに疑問に思うのですが。その人によって人生を狂わされた人がいるはずで、彼らの成功はそういう人たちの犠牲の上に成り立っているのではないでしょうか。」今考えると反感を買うような言葉を発したものだと思う。


「私はそれでも人間の本質は”善”だと思いますね。あなたはどう思いますか?」とその利用者さんはいつものように平静におっしゃられた。この方の確信は、これまでの人生経験の中で得られたものだろうか。勿論、善か悪かなんて一概に言い切れる話ではないのだけれど。この社会には、ボランティア活動や福祉サービスなどがあったり、高齢や障害を持つ方がいらっしゃったら座席を譲ったりする行為など、これらは”善”ではないか。もし、人間の本質が”悪”ならばこういったことはそもそもなされないはずではないだろうか・・・。根本は”善”だと希望を持ちつつ行動していくことが大事なのかもしれない。

 私はその方にまた浅はかな質問をしたことを反省し「やはり”善”なのかもしれませんね。」と応えた。その利用者さんは、何も言われず、私を見てただにっこりと笑っていらっしゃった。