追想記~出産後の退院まで その1~ | しららさんちの日常

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ミニチュアダックスそら(2021年死去)とトイプードルのアクア(2023年死去)、猫の清麿(2014年死去)と小雪、2012年に618gの超低出生体重児で生まれた子供との日常の記録

1歳誕生日に予告したNICUとGCU時代の記録の第一段。
というか、

まずは、出産記とNICUの記録の繋ぎである、
私の退院までのお話を。

ただ、読み進めると、わかると思いますが、
退院までの間のことは、
当時の感覚で書くことが出来ない期間なので、
ここは、追想記の形をとらせていただきます。

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帝王切開で誕生した、小さな小さな我が子。
しかし、その子を産んだばかりの私は…具合が悪すぎました。

どれぐらい、具合が悪かったかというと…

血圧が高すぎて、出産後の10日の入院してる間、
2回しか、1階上にいる、娘の面会に行かせてもらえなかったほど…。

許可が出なかったのよぅ(T_T)

そのうち、1回が、2日目に会いに連れて行ってもらって、例の初対面をはたした時ですよ。

血圧が、デジタルで計りきれず、水銀計が活躍してたわ。
上は200を突破。下は100を突破してました。
妊娠の最後のころなんて、数値を見せないようにして、言わなかったよ、看護師さん。

どうだったかを一番近い状態で表現すると、
インフルエンザで高熱が続いた状態を
思い浮かべていただくのが、一番近いと思われます。

そのボーッとした脳をさらに助長させたのが、目の異常。

水(漿液)が入りこんでしまった網膜の部分は
黄色味を帯びた像しか、頭に描いてくれないし、
歪みで(水滴に映る映像を思い浮かべてください)
遠近感もとれない。

そりゃもう、見える世界の現実味は、0。
夢の中に常にいる感じ。

出産前から、出産後、しばらくそうだったんだけど、
産後直後の2日間は特に、夢うつつのような状態にいました。

でも、私が産んだ娘は、618g。

幸か不幸か、
NICUにいる、小さな娘の命を繋ぐこと事に関しては、
残念ながら、親はなすすべがないわけで…

医師と看護婦さん達に全面的にお任せするしかなかったので、
子供の世話を私が…というのはなかった(思えなかったともいう)。

命に直結することで、親が唯一出来るのは、
母乳を届けることだけでしたが、

それもその2日は、
母乳という役目があるのも忘れてたぐらい、
なまりのように身体も重かったの。

記録によると、出産から3日後にはじめて母乳を届けた、とある。

看護婦さんが、母乳出る?ってきいてくれて、
「あ、そういえば、母乳…」っては思ったけど、
出る気はしなかったという記憶があるよ。

乳が張るというイメージと違ってたのもあり、
最初、その看護婦さんが絞ってスポイトに吸ってくれたのを、
最初はちょろっとなのかぁ~。黄色いんだ~と、
ボーッとした脳ミソでも思った記憶がある。

ちょろっとすぎて、この後出るようになるのか、きいた記憶もある。

ボケた頭でも、
とりあえず、娘の為に、
今、自分が唯一出来るのは、これなんだなとは理解してたとは思う。

絞って、持って行ってもらってたから。

でも、入院中の自分の気持ちは、あまりちゃんと記憶されていません。
夢うつつのことを覚えてないのと同じで。

でも、記録はつけてた。
目が変だったので、
今見ると、ひどい字だわ、
書くスペースの余白の感覚も掴めないてないので、見づらいけど。

この記録と、かすかな記憶をたよりに経過を書くと…。

ダンナに頼んで、カメラを持ってきてもらい、
写真を撮ってくれたのが、出産から4日後の15日。

携帯は手元にあったけと、携帯は不可で、
カメラはOKの話は、私が会いにいった日=2日目に聞いたと記憶しています。
そして、次の日(3日目)は、確かダンナが忘れたんだったな、カメラの件…。

みぃさん最初の写真の一枚。
しららさんちの日常
産まれて4日目のみぃさん。

その日のうちにプリントアウトしに行ってくれたので、
以降は、会えない時、写真を見ながら、絞ってたよ。

記録によると、初めて会った産まれて2日目に、
気管挿入をはさみつつも、自発呼吸をはじめたと言われたと、ありました。
※ついでに、母子手帳によると、その生後2日の体重は、ちょい減りの607gだったらしい。

なので、私の初対面の時も、
この時も呼吸器をつけていました。
(※ただし、数日後、呼吸とは別な理由で、しばし中断されます。そこは、退院まで2、で。)

あんな経緯でも一応2回した、
肺の成長を促すという注射、きいたのかも~。

ちなみに名前を決めたのも、初写真のこの日。

次の日、病院に来る前に
ダンナが出生届けを出してきて、
3月16日に、正式に名前が決定しました。

ちなみに、この日にも
我が子に会う許可の出なかったママは
何をしてたかというと…

眼科を受診して、検査をし、
産科の検診をうけ、
むくんでたけど、
薬を飲むほどではないと言われてたようです。
うーむ、なかなか忙しかったのねぇ。

次回は、名付けについて。
私の退院までの続きは、名付けの件の後で書きますね。