日曜の夜に、まさかの… ~出産記1~ | しららさんちの日常

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ミニチュアダックスそら(2021年死去)とトイプードルのアクア(2023年死去)、猫の清麿(2014年死去)と小雪、2012年に618gの超低出生体重児で生まれた子供との日常の記録

本院3日目の日曜、3/11。
面会時間になり、母が来ていた時、

産科の担当医グループのトップ=主治医の先生からお話があると呼ばれました。
もう大きくなっていないので、準備を整えて、来週(火曜~木曜)には出します、と。

来て、まだ丸2日。
予想よりも早く話があったけど、意外ではありませんでした。

到着早々のエコーの時。
付いてきてくれた若先生と、本院での担当医となる主治医グループの先生達が

エコーを見ながら、話していたのです。
羊水が少ないと。

そんな遠くない時点で、帝王切開だなと思いました。

正直、私の心も身体ももう限界でした。
目の異常と高血圧で、世界の現実感はゼロ。
もう常に具合も悪く、
しかも朦朧とした世界におり、
(その時はまだ)理由が分からなかった目の異常が、

すでに、ポキッと心を完全に折ってしまっていました。

29週なのに、小さい赤ちゃん…。出たら、生きられないかもしれない。
でも、もう自分も限界を感じてたというか、限界点を越えちゃってる…。

どうせダメなら、早く身を2つにしてくれ、と思ってしまう自分もいた。

だから、どこかで、ホッとしたのです。
私の身体では、出来る最大限のことはもうしたんだ、と。
そして、身体はどうなってしまうんだろう、という不安も終わるんだと。

その決定が告げられから、NICUの見学もさせてもらった。
今日でもいいですよって、言われたから。

ダンナが来るのを待ってたら、時間が間に合わなそうだった。
母と2人、先に見学にいくことにした。
※なぜか、ダンナが来れないのに、明日にしようとは思わなかった。

虫の知らせだったのでしょうか。

覗かせてもらった窓の中。
分院で言われていた体重(実際はそれより小さかった)ぐらいの小さい赤ちゃんが

保育器の中で、元気に生きていた。

この子も生きられるのかもしれない。
そんな望みを持った。
母の方を見たら、同じ事を考えているのがわかった。
赤ちゃんの名前を考えておかなくちゃ。

ダンナには、電話で帝王切開の話をして、

名付けの本を買ってくるように頼んでいた。

画数も名前の字も、よい名前をつけてあげたかった。
何が起きても、私が産める赤ちゃんは、この子だけ。
そして、もしかしたら、

この子には、名前しかあげられないことになるかもしれないとも覚悟してもいたから、余計に。

ダンナが来ているうちに、2日(2回)打つという、

胎児の肺の成長を促す注射の1回目を打った。

明日もまた打つんだって。
胎児のうちに、2回だけ打てばいい、注射なんだって。
名前以外に、そんな話もした。
その時は、明日、普通に打てると思っていたから。

午後8時、面会時間が終わり、ダンナが帰ったあと、
名前の候補を考えていた。画数、字、字並びを確かめるために、書いてみたりした。

午後10時。
満足のいく、候補を出せたので、ダンナにメールをし、母にもメールを送って、
ベッドから、立ち上がった、その瞬間だった。

腿を伝わる、生ぬるい液体の感触…。
妊娠前に毎月感じてたあの感覚…。

足元をみると…
赤い…。

出血?!

悲鳴がもれた。

慌てて、ナースコールを押した。
「出血しましたっ」
それだけを言うのが精一杯だった。

バタバタと足音がした。
まず、慌ただしく、看護婦さんが飛び込んできた。
医師達も慌ただしくやってきた。

肺の成長を促す注射もまだ1回目よ?!

せめてせめて明日が終わってたならっ。
しかも一番医者が手薄の日曜の夜なんてっ。

なまじ、生きられるかも、との希望が大きくなってしまったばかりだったので、

余計にショックが大きかった。

止まらぬ流れる血の感覚。
涙もあふれて止まらなかった。

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本日はここまで~。

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〔計画どおりにはいかないでちゅ〕

ママは生きた心地しませんでしたわよ…。