2016年5月10日 | Ke ola maika'i
去年の5月10日、らんの息子のりんを見送りました。
3歳の誕生日を迎える少し前でした。

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今からちょうど4年前、当時はーちゃんが通っていた小学校で、私はうさぎのお世話の手伝いをしていました。
ある朝、男の子が隣の女の子部屋に進入しているのを発見。
まず間違いなく妊娠している、小屋での出産にはいろいろ問題がある、と説明し、学校に少し無理を言ってらんを引き出しました。
予想通りらんは妊娠していて、我が家で出産。
5兄弟の1匹がりんでした。



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 これは、りんとももとパン太



去年、りんを見送った後に書いて、アップできずに残っている記事がありました。

自分の記録のためにも、ここにアップしておきます。




2016年6月15日

りんがいなくなって1ヶ月も過ぎ。

そろそろ、りんのことを書いておきたいと思っていました。
でも書き始めると、いろんなことが思い出され、いろんな思いがいっぱいになってしまって、なかなか進みませんでした。


そして、そこにお友達うさちゃんの訃報。
まだまだ悲しみの癒えない私には、
うさちゃんのパパママの辛さが痛いほどわかり、私自身も、また寂しさに沈んでしまったりしています。






5月10日 5時27分。
りんは2歳10ヶ月で、ぴょーんとお空へ跳んで行ってしまいました。

1ヶ月が過ぎても、なんだか昨日のことのような、
いや、もしかしたら夢だったんじゃないか?とさえ思うほど、まだまだ実感がありません。
そして些細なことで、りんの不在を確認しては涙する日々です。
りんは、生まれる前から最期の瞬間まで、その一生を見届けた子です。




私、本当に忘れっぽくててへぺろ
特に悲しい記憶辛い記憶って、どんどん消えてしまうのです。
なので自分のために、りんとの時間、そして最期の時を記録しておこうと思います。
ご自身の経験と重なり辛い思いをする方は、この先は読まないでください。












りんは5兄弟の中で、一番体が大きく生まれました。
そして、生まれて約1時間後に、私が巣箱の中に恐る恐る手を入れ、初めに触れた子でした。
なので暫定長男ということに。

少し心臓が弱いと言われていたけど、生活は普通のうさぎと変わらず。
そうそう、たらこさんが一つ見つからなくてびっくり
去勢手術の時に、奥の方から出てきた、とのことで無事処置をしたことがありました。
これは遺伝性のものらしく、兄弟達にも同じ問題がありました。


りんには、里親候補は困った人ばっかり来ましたニヤリ
1人は途中で連絡が途絶え、3人?くらいはこちらからお断りするような環境や考え方の人達ばかりで。
結局、私も手放せなくなったしと、うちの子になりました。
素直ないい子で、男の子らしい甘えん坊で、本当に本当にかわいい子でした。
いつもらんと鼻先を押し合いしては、らんが根負けしてりんを舐めてやる、という光景が毎日でした。

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去年(当時)の7月の終わり、2歳1ヶ月の時に、りんは初めてのうっ滞を起こしました。
暑さが和らいできた頃、再びのうっ滞。
結局、気圧変化、気温変化、遠くどこかの地震でもうっ滞を起こすように。
かかりつけの先生によると、南米の地震の前の日とかにうっ滞を起こす子もいるそうですよ。


うっ滞の回数を重ねて、私も対応に慣れて気配がわかるようになりました。
主治医は急な受診に対応できないことが多いので、薬を多めにもらっておいて、強制給餌の準備もしてあって、電話で指示を仰ぐ程度で回復できるようになっていました。
それでも1ヶ月~1カ月半おきくらいの受診のたびに、お腹の状態は完全ではなく、度々のうっ滞は続いていました。

年が明けた頃からは、脱水、貧血もひどくなりました。
3月に詳しい血液検査をしたけれど、大きな異常は見つかりませんでした。





最後のうっ滞は、いつもと違って長引きました。
食欲増進や腸の動きを促す薬を飲ませて、1回だけ少量の強制給餌(といっても毎回自分から食べてましたが)。
そんな対処をして適度に運動していると、大体2、3日でけろっとしていたのに、その時はそうではなく。

主治医はやっぱり予約と手術がいっぱいで、11日の午後一番にあった隙間に予約を入れてもらいました。
それまで薬がちょっと足りないため、先に私が薬だけもらいに行くことに。

8日の朝、片道30分程度の病院まで一人で行きました。
先生と、りんは健康診断以外にこまめに受診したほうがいいですね、3週間おきくらいに予約入れておくと不調と重なるときもあるかもしれないしね、と話しました。


その夜、りんはとてもだるそうで、ちょっと走ってもすぐにお腹を床につけて伸びていました。
不調がわかるようで、らんがいつもより長く寄り添って舐めてくれていました。
腸は弱めだけど動いていて、強制給餌のシリンジは自分で吸いついてきました。

元々心臓が弱かったけれど、寝る前に聴診したら心拍が弱まっていて、すごく怖かったので私も朝までリビングにいることに。
しばらく一緒に寝ていたのだけれど、りんがケージに戻るというので、私はケージの前で眠りました。

朝には少し顔色が良くなって、心拍もしっかりしていました。
変なこといっぱい考えちゃったけど、よかった、峠は越えたな、と本当に安心しました。

その日も変わらず、柔らかいチモシーを少しだけゆっくり食べ、薬も上手に飲み、少しだけ走っては伸びて休み。
強制給餌も自分で少し食べ。

不調ながらも安定していると思いました。
いつものパターンだと、その夜にはかなり回復し、次の朝にはけろっとしていて、その次の受診の日にはすっかり元気になっているだろう、と。


その夜は、思っていたほどの回復ではなかったけれど、前の夜に比べたら心拍も腸の動きも随分良くなっていたので、朝にはもっと良くなっていそうだなとちょっと安心しました。
前夜はリビングのフローリングで寝たので、その夜はベッドへ戻って眠ることに。


翌朝、4時半頃だったかいつもより早く目が覚め、起きて急いで見に行くと、りんは背を向けて小さく座っていました。
私に気付くとまるで、元気だよ、大丈夫だよ、と言うようにこちらに振り向き体を動かそうとしたのですが、足腰はほとんど力が入らず、お尻は下痢で汚れていました。

慌てて抱き上げたけれど、体は力が抜けていて、目には光がありませんでした。
それでも必死に私の顔を見上げ、頑張るよとでも言うように、私を見つめてくれました。

どう見ても主治医の所へ行く体力はないし、初めてのうっ滞の時に行った近くの病院は診察そのものがストレスになる。
助かるならまだしも、複数の見知らぬスタッフに抑えられたまま旅立つようなことはさせたくない、と思い。


私は、あまり悩まずに、このまま看取ろうと決めました。
今日はできる限り、りんと一緒にいて、できることをしてやろう。



りんに、もういいよ、もう頑張らなくていいんだよ、と語りかけました。
思い立って、らんのところにも連れて行きました。
らんに状況を話したら、一生懸命りんの頭を舐め続けてくれました。
そのうち、らんがりんに手をかけて登ってこようとしたので、らんにはありがとうをして、りんとソファーに座りました。

たくさん思い出話をして、今まで頑張ったことを褒めちぎって。
ずっとずっと一緒にいてほしい。でも、もう無理はしなくていい、と伝えました。
りんが来てくれて、どれだけ私たちが幸せだったか。
私たちが、どれだけ、りんを愛していたか。
私が話をしているのを、りんは微笑んでいるようにも見える穏やかな顔で、静かに聞いていました。


しばらく経ったころ、りんはまるで走るように腕をゆっくり動かしました。
そして、ほとんど動かなかったはずの脚はぴーんと後ろに伸びて。
痙攣じゃないんですよ、本当に走っているような、そんな姿で、深い深い息を一つ。




寝顔はきれいで穏やかでした。
私は、多分号泣していたはずだけど、心のどこかで少しだけほっとしたような、不思議な感情がありました。

1年間、いつも痛くて苦しくて、でもよく頑張ったね。
りんにはたくさんのことを教えてもらったよ。無駄にはしない。

また会える日を信じて。
長いことお疲れさま。
そして
ありがとう。